2011-10-31
森の奥に潜むパワースポット、岡本太郎美術館
秋のある日、向ケ丘遊園の駅に降り立った。駅前には、今はなきモノレールの跡形が残り、ここが東京からほんの少しばかり行った場所だと忘れてしまうほど、ノンビリとした道を、生田緑地へ歩いて行く。
最近では藤子・F・不二雄美術館も完成し、私が乗った小田急列車もちょうど、藤子・F・不二雄電車だった。だけど、今日の行き先は違う。
訪ねたい場所は、緑地公園の一番奥にあった。
古民家を集めた「日本民家園」や、季節外れのバラ園、ブルートレインや蒸気機関車D51を抜けると、天まで伸びるメタセコイアの木道に出る。見上げると木もれ日が眩しく揺れている。
そこから右手の階段を上ると、お目当ての建物がある。
ここは、岡本太郎美術館。
岡本太郎が生まれた町にある、山に埋もれるような格好をしたその建物は、瀬戸内海に浮かぶ直島の地中美術館をも連想させる。彼の墓場か要塞のように思えてしまう。
今年は太郎生誕100周年ということで、企画展やイベントも多く開催されてはいるが、常設展だけでもかなり見応えがある。
正直、岡本太郎作品に、作風的に惹かれるというよりは、彼の残した数々の名言の方に興味があった。でも、太郎さんの絵を前にして、瞬時に圧倒された。これまで見たどんな巨匠の作品よりも、エネルギーの密度が濃い。何か生き物がそこにあるような感触。そんな作品が群れをなしている。
しかし、作品以上に興味深かったのは、太郎さんの年表だ。父は日本の漫画のスタイルを作ったと言われる、漫画家、岡本一平。母は小説家の岡本かの子。2人の写真を見てすぐ、「岡本太郎」という人が形成されて行くバックグラウンドに、合点がいった。
太郎さんがフランスへ渡ったのは、朝日新聞に勤める父の仕事によるものだったが、フランスの大学では美術や絵ではなく、民俗学、哲学などを学び、その後の作品スタイル、思想に大きく影響していく。
最愛の母との関係は一種異様だ。ある種変人と言えるこの母について、太郎さんは「母としては最低の人だった」と語っている。しかしながら、必要以上に甘やかし、必要以上に厳しくあたる、母かの子との愛情は、異常なものであったとも感じられる。それは後に養女として生活を共にした岡本敏子との複雑な関係にも影響を与えているのだろうか。
そんな中、一番惹かれた作品は、太陽の塔のミニチュア模型の脇にひっそりと掲げられた、太郎さんらしからぬピンクの淡い絵だった。(作品の名前は失念。確か、2人の愛が交じりあう、というような純粋な内容だったように思う)
アニミズムや、太陽の塔制作の背景、特別展での壁画制作の方法など、見応えたっぷりの美術館を出て、外の空気を吸い、しばし頭を空っぽにしてから、最後に見るのは夕映えに光る「母の塔」だ。高さ30mのこの塔には、飛び跳ねる(ように見える)子どもたちが楽しげに手をあげている。
今にもこちらへ降りてきそうな彼らに、一瞬ドキリとしたのは、黄昏時だったからだろうか。
初めての訪問でほんの少しながら太郎さんを知ったけれど、言葉や作品は、一度ではとても身体に入りきらない。何が正しいということはないのだけれど、太郎さんの言葉にはいつも、心をかきむしられる。そうだ、ここは時折訪れ、何度も噛みしめたくなる、森の奥に潜むパワースポットなのだ。また元気がほしくなったとき、何かに迷った時に来てみよう。きっと何か答えが見つかるはず。
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カフェテリアTAROで生田緑地を眺めながらティータイム。
館内で唯一写真が撮れる場所で、太郎さんと一枚いかがです?
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川崎市岡本太郎美術館 >> http://www.taromuseum.jp/
岡本太郎生誕100年記念事業公式サイト>> http://taro100.jp/
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