2015-06-5
デューク・エリントンのお話
前回、少しジャズの歴史について書きましたが、今回はそれを受けて、ジャズのみならず、アメリカンミュージックに多大な影響を与えたミュージシャンを紹介したいと思います。
「Duke Ellington」(1899年4月29日〜1974年5月24日)
デューク・エリントンはアメリカを代表するピアニスト、作曲家、バンドリーダー。
ワシントンD.C.にて生まれる。「デューク」といのは子どもの頃から身のこなしが優雅で、きちんとした服装をしていたことからつけられた愛称と言われている。子供のころから小学生の頃からピアノを習い始め、ハイスクールでは校内のパーティでピアニストとして活躍していた。同時期に音楽教師から高度な作曲理論を学んだとされる。
「私の音楽に対する勉強は、GフラットとFシャープの違いを学んだことからはじまった」
という言葉はあまりに有名です。
確かに、その違いを学ぶこと、理解することは作曲に大きな影響を与えると思う。
生涯において、作曲した曲は3000曲を超える。ジャズを知らない人でも、一度はきっと耳にしたことのある曲があるはず・・・。
♪ A列車で行こう
♪ 昔は良かったね
♪ ムード・インディゴ
♪ Caravan
♪ スイングしなけりゃ意味ないね
♪ In A Sentimental Mood
♪ C Jam Blues
♪ Sati Doll
彼はいつまでも作曲することをやめられなかった。癌に冒され、死期が近くなってからも病院で作曲を続けていた。印税などで莫大なお金を得ていたにも関わらず、お金のかかる、ビックバンドを持ち、生涯を通じて楽団とともに旅を続けていたのは、彼の頭の中にあるサウンドを、すぐに実際に聴き、演奏することができたからという理由もあるだろう。
デューク・エリントンオーケストラは今なおジャズを演奏するものにとって、大きな影響をもつ歴史的なバンドである。その特徴あるサウンドはエリントンの作曲法とも関係していると思う。
一生を通じて、彼の課題であり、満足であったのが、彼のオーケストラの特定のメンバーに向けて作曲することだった。
『A列車で行こう』の作曲者でもありエリントンの右腕であったピアニスト、ビリー・ストレイホーンがエリントンについて語った話がある。
「エリントンはピアノを弾くけれども、彼の本当の楽器はバンド全体なんだ。バンドのメンバーの一人ひとりが明確に音色を演じ、彼はそれをぜんぶ混ぜ合わせて独自なスタイルを創る。自分の楽団一人ひとりのために作曲し、めいめい自然に、楽に演奏させ、エリントンは彼らの心の奥の隅々まで探り、ミュージシャン本人まで知らなかったようなものまで取り出してみせるんだ。」
エリントンは、バンドに在籍しているミュージシャンたちの長所を見抜き、そこを伸ばすように作曲していた。みんながストレスなく、楽に演奏できるように曲を作っていた。
エリントンが語る。
「しばらくバンドの仲間に入っていると、その男の力量が聴こえるようになるんだ。1人の人間のサウンドは彼の全人格なんだ。曲を書こう、というときにはそのサウンドが聴こえてくる。だから僕には曲が書けるんだ。」
「長い間、弱点をもつミュージシャンのために作曲することがとてもおもしろかった。彼らの長所を引き出すように作曲して、彼らを驚かせるのが楽しかったんだ。」
取り上げられたミュージシャンが自由に曲を演奏し、その間を他のミュージシャンが縫うように演奏していく。エリントンオーケストラには楽譜がなかった、という話をよく聞く。
「誰かが演奏していて、すき間があるとする。自分がそこを吹きたい、と思えば、それが自分の演奏する場所だ」
何かの本で、エリントンオーケストラのメンバーが語った、というのを読んだことがある。
そのときは、「そんなことでビックバンドが成り立つんだ!」と驚いた。
だって、16人も人が居て、楽譜がなければハーモニーが成り立たない、と思いません??
でも、そこがエリントンオーケストラのサウンドの大きな特徴なのかもなぁ、と最近よく思います。エリントンが誰かのために曲を書き、それを聴いたメンバーがそれぞれハーモニーをつける。そのために、音楽的には分析できない、独特のサウンドが生まれたのではないかな、と想像します。
エリントンが作ったものには、エリントンが作ったもの、というレッテル以外に貼りようがない。エリントンは、彼の音楽を表現してくれているミュージシャンをとても大事にしていました。
エリントンは決してメンバーをやめさせることはなかったそうです。(ベースのチャールズ・ミンガスを除いては。ミンガスはエリントンが唯一クビにした人物)
ドラッグをやっていてるメンバーがいて、周りから指摘を受けるようなことがあっても、メンバーを非難することはなかった。もちろん、注意することはあったでしょうけど。それもあってか、メンバーは長くオーケストラに在籍している人が多かった。このこともサウンドには大きく影響すると思います。
また、エリントンの人生を語る上で忘れてはいけないことは、彼が他の多くの黒人ミュージシャンがそうであるように、人種問題を鋭く、変わることなく意識し続けていたということ。公の場での発言では優雅に、軽い内容の話が多かったが、常に音楽では主張していた。バンドに白人ミュージシャンが混じることはあったが、エリントンの曲は、どんなテーマに基づいて作曲したものであれ、つねに黒人の立場、考え方に則ったものだった。
「黒人の社会抗議と誇りは、ぼくらのやってきたことの中で最も重要なテーマだ。あの音楽(ジャズ)においてぼくらは、長い間、この国で黒人であるということはどういうことであるのかを語ってきた。」
「ジャズ、っていう言葉も問題の一部だな。この言葉からはニューオリンズの売春宿の連想が完全に消えないんだ。1920年代によく言ったもんだ。『僕がやっているのは〈黒人音楽〉と呼ぶべきだ』って。」
今もなお、デューク・エリントンの音楽は世界中の音楽に影響を与え続けていると思う。
遠く離れた日本でジャズを演奏いている私のようなミュージシャンにさえも。
彼の音楽は楽しくて、ジャズの喜びがたくさん詰っています。コード進行にもメロディにも。
日々、いろいろな曲を演奏していますが、彼の曲を演奏する時には、喜びと尊敬の気持ちを持って曲に取り組んでいます。トランぺッター、マイルス・デイビスの言葉が端的にミュージシャンの気持ちを語ってくれています。
「あらゆるジャズ・ミュージシャンがある一日、集まってひざまずいてデュークに感謝すべきだと思うよ。」
私にとって、デューク・エリントンの音楽は「ジャズっていいなぁ!」と思わせられる音楽です。演奏していても、聴いていても幸せな気分になる。
以下に、私個人的におすすめのCDを挙げていますので、機会があったら聴いてみてください!
「Live at The Whitney」
Duke Ellington Trio
ニューヨークのホイットニー美術館でのライブ録音。
エリントンがオーディエンスを楽しませている雰囲気、また、オーディエンス全員がライブを楽しんでるのがよく分かる。『I’ m biginnig to see the light』では、観客全員がエリントンのピアノに合わせて歌うところがあり、これを聴いた時には本当に幸せな空気に包まれました。
「Solos Duets & Trios」
モダンベースの生みの親、ジミー・ブラントン。彼の演奏が聴ける貴重なCD。彼はエリントン楽団で活躍していましたが、若くして亡くなり、音源があまり残ってません。エリントンとのデュエットでは、素晴らしい演奏が聴けます。
「Ella At Duke’ s Place」
Ella Fitzgerald & Duke Ellington Orchestra
エラ・フィッツジェラルドがエリントンと競演した1 枚。
文句なしに楽しめます(当社比)。ストレイホーンの作曲の「A Flower is Lovesomething」は大好きな曲です。「Duke’ sPlace(C jam blues)」も、家で聴いていても手拍子が自然に出る。エリントンの楽曲の楽しさが聴ける1 枚です。
「Duke in Blue」
Ellis Marsalis
番外編。ニューオリンズ出身のピアニスト、エリス・マルサリスのピアノソロのエリントン曲集。様々なミュージシャンがエリントンに捧げるアルバムをたくさん出しています。このアルバムもエリントンへの尊敬と愛情が詰っています。ピアノソロで、聴きやすいと思います。
「A列車で行こう」
デューク・エリントン・オーケストラ
ジミー・ブラントン、ベン・ウエブスター在籍時の主要音源を聞くために。
日本編集の素晴らしいベストアルバム。
1件のコメント
Duke Ellington初心者ですが導入で聞くアルバムリストとして大変参考になりました!
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