編集部多川(以下・編た) |
漫才はいつから始められたのですか?
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内海 |
奉公先の坊ちゃんがチャンバラで遊んでいるときにたまたま刀身がわたしの頭にあたってケガしちゃって。それで年季より早く戻ってきたのよね。そしたらおふくろが「生きていくには何か身に付けた方がいいよ」って。で、おふくろの三味線のお師匠さんに弟子入りしたのが11歳のとき。その月謝が1カ月、1円50銭。その1円50銭を親に出させるのがいやだから、友だちの鼻緒屋の家でお手伝いをして1日10銭をもらって1カ月3円を稼いで、そこから1円50銭を払って習ったの。
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編集部魚見(以下・編う) |
なぜそこまで?
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内海 |
親に面倒かけるのが嫌だったんだよね。お金がないのはわかってるから。
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編う |
じゃあ11歳で三味線を習い始めて、それから漫才を始めるのに何かきっかけがあったんですか?
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内海 |
町内に漫才師の一家がいて、ときどき旅回りの一座を組んで巡業で稼いだのよ。で、うちはおふくろが三味線ひいて、わたしは唄や踊りができる。じゃあ、その巡業にくっついて、ひと稼ぎさせてもらおうと。14か15歳の頃だったかな。ところがあるとき漫才師のおかみさんがお腹が大きくなって舞台に上がれなくなった。相方がいないと漫才できないじゃない? そしたらおかみさんが「あの子なら漫才やれるよ」って。で、その旦那の方とコンビを組んだのが初舞台。
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編た |
そのおかみさんに「この子はいける」と思わせる何かがあったんでしょうね。
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成田 |
でも、その巡業漫才は2年ぐらいでやめちゃうんですよね。
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内海 |
そう。お手つきになっちゃって、子どもをつくらされちゃったから。
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一同 |
えーーーーっ!!!
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内海 |
旅に出ると、部屋も一緒にされるからね。
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編た |
いくら部屋が一緒でも・・・。まあでも情が移るというか何というか・・・。
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内海 |
好きとか嫌いの問題じゃないのよ。コンビっていうのは、いっぺん息が合ったら舞台以外のことは目をつぶって、多少のことには鼻をつまんで、離れないものなのよ。やめたらそれでお終いでしょ。巡業中は自分のだけでなく相方の洗濯物もしてあげましたよ。生活が四六時中いっしょになるわけだから、わがまま言って離れたら、芸が変わる。違っちゃうのよ、看板が。相方のおかげで、自分も仕事ができるわけだものね。
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編た |
でも、別れたんですね。
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内海 |
向こうのおかみさんに「子どもまで産んでうちの亭主を取った」って責められて。別に取ったわけじゃないんだけど。こっちはあんたの亭主が困るだろうと一生懸命我慢してやってるのに、そこまで言われたんじゃね。
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編た |
2人目のお子さんも、また別の関西出身の相方さんとの間に生まれたとか…。
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内海 |
今度は向こうの奥さんが病気だったの。それで、またお助け漫才をすることになったんだけどね。子どもをつくったのは、その奥さんが亡くなってからですよ。結婚までしたんだから。
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成田 |
でも、その相方さんは他の女の人を家に入れてタンスの中味をまるごと質に入れたり、博打やヒロポン(覚せい剤の一種)中毒にもなって、それでコンビ別れして、好江さんと女性漫才を始めたんですよね。
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編た |
男はこりごり…?
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内海 |
好江さんだって、最初は子どもでしたもんね。
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編う |
亡くなった好江師匠は、桂子師匠より14歳も年下だったんですよね。
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内海 |
好江さんの両親は夫婦揃って芸人で彼女も学校は2年しかいってないの。まあ、芸人に学歴なんて関係ないからね。だって、わたしたち桂子・好江ふたり合わせても5年しか学校に行ってないんだもん。
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一同 |
笑
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編た |
その好江師匠とはどういう経緯でコンビを組まれたんですか?
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内海 |
好江さんの親はわたしの2番目の相方と同門で、その娘さんでね。でも親とやりたくないらしく、わたしに何とか一人前にしてやってくれないかと頼みにきたので、面倒みてやろうと思ったの。でもその代わり、わたしのいうこと聞いてやってくれなきゃやだよって。
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編た |
女同士のライバル意識はなかなか複雑だから、逆にそれだけ年齢差があるとお互い張り合うこともなく、よかったのかもしれないですね。
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内海 |
だってねぇ、14歳も下だとこっちが色恋の話をしても全然わからないしね。色気の話もダメ、踊りも三味線もダメ、しゃべりもできない。だから、好江さんには最初から厳しくしました。わたしはわたしで、芸の世界で生きていくためには人ができないような難しいことをやらなきゃだめだと必死だったしね。好江さんにしたら、そんなわたしについてくるのは大変だったと思うよ。
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成田 |
それだけ努力して、名だたる漫才コンクールや芸術祭の賞を総ナメにしたんだからすごいですよね。だけど、絶対取れると期待されていた昭和33年のコンクールで、賞を取れなかった。それで好江師匠は自殺をはかったんですよね。
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編た |
そのとき好江師匠に「あんたのせいで取れなかった」と悔しさをぶちまけたとか。そこまでのことが言える、しかもそれでもコンビであり続けられるお二人の関係性がすごい。
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内海 |
そのコンクールは出場3回目で、今回は取れるだろうと思っていたの。ところが「獅子てんや・わんや」にさらわれて、また2位だった。ついつい「お前が悪いんだ」って言ったら、睡眠薬飲まれちゃった。
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編た |
飲まれちゃったって…(苦笑)。
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内海 |
いやあ、死なれたら好江さんの親に申し訳が立たない。病室で目が覚めた好江さんに「大丈夫かい?」って声をかけたら、「大丈夫」って言ったから、ああよかったと。ほんとにあのときは生きた心地がしなかったわね。睡眠薬を飲み過ぎたんですって。
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編た |
そこで「ひどいこと言ってごめんね」とかは、ない?
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内海 |
それはもう、言わなくてもわかることだから。取れるはずの賞が取れなかった、自分の芸が足りなかった、及ばなかった。またがんばるって。
「笑い」はね、本当のことを言えばいいだけなのよ。でも、何が本当のことなのか、そこをサッとつかみ取れなきゃ本当の笑いはもらえない。
たとえばね、漫才で好江さんに向かって「悔しかったらお前、子どもつくってみろ。嫁して3年、子なきは去るっていうんだよ」みたいなことを言うわけ。実際に好江さんは子どもができなくて、お参りしたり、薬飲んだりしてたんだけどね。すると好江さんも本気で返してくるわけ。「子ども、子どもって、あなたの子どもは3人とも名字が違うじゃないか。安藤、立川、佐々木ってどういうわけなんだ」ってね。そこでまた斬り返すの。「わたしは人様のところに行くのに手ぶらじゃ行かないのよ」。お客さんは最初はドキンとするけど、あとは大ウケよ。
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編た |
ほとんど殴り合いですね(笑)。でも笑ってしまう。
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内海 |
そこまで突き合う漫才ってのは、お互いの腹の底までわかってないとできない。時には憎みもするし、恨みもする。でもそれを芸人としてこなさなくてはダメよ。
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編う |
自分にはそこまで人とやり合った経験がないので、どうすればそうなれるのか正直わからないです。
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内海 |
自分の気持ちの中で、絶えず格闘し続けるってことよ。相手はこう思うだろう、相手の性格はこうだからと、わかったつもりになって落ち着いちゃダメなのよ。
だから「なんでお前はそう思うんだ!」って、相手の中に飛び込んでガチャガチャやってりゃ、ひょっとした拍子に考えられない本音が出てくるのよ。そこに笑いが生まれるの。このネタだって、突然舞台で出たアドリブだったのよ。でもその後、たびたび使ったけどね。
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編た |
好江師匠とはコンビ別れの危機はあったんですか?
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成田 |
1度、あったんですよね。
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内海 |
好江さんには旦那さんもいたし、取り巻きもたくさんいましてね。そのパワーでわたしのことをねじ伏せたかったんだろうね。
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編た |
桂子師匠にとって、好江師匠はどういう存在ですか?
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内海 |
学校も行ってないのに漫才師として勲章までもらえて、こうして家も建てて暮らせているのも、全部、彼女がいたからできたこと。彼女がいなかったら、今の自分はありません。「ねえさんの死に水は私がとるわよ」って言ってたのに、向こうは先に逝っちゃっうんだから、悔しいわよね・・・。ほんと人生はあてにならないものですよ。
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成田 |
好江さんがガンということを、桂子師匠は最後まで知らなかったんでしょ?
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内海 |
わからせまいとしてたんだよね。でもね、48年一緒にいるとね、相手が何を思ってるか知らされなくてもわかっちゃって、その心意気も十分理解できます。ほんとに、好江さんという人は、わたしの一生の宝ですよ。
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