編集部多川(以下多川) |
そもそも、鈴木さんが右の思想に至るきっかけは何だったんですか?
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鈴木邦男さん(以下鈴木) |
母親が生長の家の信者で、その宗教団体が非常に愛国的で、小さい頃から日本人の素晴らしさや天皇の話を教えられました。学校に行くと、先生や教育者は左翼の人が多くて、「天皇なんか俺たちの税金で生かしてやってるんだ」みたいなことを言う。でも生長の家の大人たちは、天皇陛下は立派だと言う。それを聞きながら、自分は「こっちかな」と。たぶん何を言われたかより、それを言った人に惹かれたんだと思う。
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多川 |
それすごくわかります。わたしも、思想や論理的には左の方が正しいと理解できるのに、だからといって「この人好きやわ〜」とはならないのが自分でもわからない謎なんです。
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鈴木 |
たぶん、人間は、体は右翼、頭は左翼なんですよ、きっと。
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多川 |
あっ、それいいですね!矛盾だらけの人間らしいです。頭は左翼、体は右翼、自分のモットーにさせてもらいます(笑)。
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鈴木 |
僕は右翼といっても、考え方ややっていることは左翼だと非難されるので、どっちかわからない。自分では、思想同一性障害だと言ってますけど。
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多川 |
鈴木さんは現在、右から考える原発問題として、反原発を主張されています。60、70年の日米安保闘争の時も、日本の自主独立をめざす保守右翼であれば反対の立場となるはずが、そうはならなかった。日本の国土を守る保守本流であれば、自然に考えると安保反対、脱原発になるのが筋ではないかと思いますが。
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鈴木 |
70年安保の頃は、今よりずっと視野が狭くて愚かだったから、反対という発想そのものがなかった。60年安保の頃はまだ仙台の高校生でしたから、国のことよりも、大学受験のことしか頭にない利己的な子どもでした。
でも、60年安保の頃は、安保反対を主張した右翼もいたんですよ。戦争中は「鬼畜米英」で闘ったのに、なんで負けたらすぐアメリカ様に寝返ったのかというと、アメリカに対する報復より、ソ連、中国の脅威のほうが火急だった。アメリカに占領された恨みがあるけど、共産革命でソ連や中国に占領されるよりはマシだということで、日本の保守政治はアメリカ寄りになっちゃたんだよね。
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多川 |
昭和天皇がもっとも危惧されたのは日本の共産主義化だったと。
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鈴木 |
そう、もしソ連に占領されていたら、天皇は処刑されて皇室は潰されていただろう。でも、アメリカは天皇を残してくれた。だから、戦後右翼の人たちは、これからはアメリカと一緒になって共産主義に反対しなくちゃいけないと考えたんだよ。
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多川 |
韓国や中国との領土問題もそうですが、ことあるごとに噴出する歴史認識の問題があるじゃないですか。例えば自分が韓国人の友だちとの会話の中で、そういう歴史の話になったときには謝れると思うんです。でも、それが国同士の段になると、そうはなれないんじゃないかと…
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鈴木 |
それは悪しきナショナリズムだよね。日本は侵略したこともない、虐殺もない、戦争はしたけどあれはルーズベルトに騙されて無理矢理やったんだ、という人もいますが、それは違うんじゃないかな。間違いや過ちは認めて、それでもなお日本を愛しく思うのが愛国心だと思うんですよね。
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多川 |
日本が中国と韓国にどんな残虐非道なことをしたかは、学校時代にこれでもかと教わったので、そういう事実があったことは認めます。でも、どんな犯罪者でも、やっていないことまでやったと認めるわけにはいかない。個人が突き詰めるべき罪と国家が認めるべき罪は同じ次元ではかれるものかどうか、自分自身、非常に葛藤するテーマです。
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鈴木 |
自国の歴史は多少自虐的なほうがいいんじゃないかと。あまり誇りを持つと、ろくなことはないですよ。世の中には、たとえそれが真実でも、心の中に閉じ込めて言わないことがあるでしょう。それをネット右翼の人たちは、人として言ってはいけないことまで言葉にする。それは人の心にある本音だから、反応する人間はいますよ。でも、それは自分たちの嫌らしさを増幅させているだけで、愛国心でも何でもない。
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多川 |
三島由起夫の言う、愛という言葉は日本人には合わない。日本人には恋の方が似合うという感覚はすごくよくわかるんです。大体、自分は愛を口にする人に愛を感じたことがないし、そんなもんは誰の心にもあるものだと思うから、それをいちいち口にすることにおこがましさを感じてしまいます。愛国って、何なんでしょうか・・・
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鈴木 |
愛の場合は、相手を従わせようという思惑があるんじゃないですか。でも、恋の場合は、一方的にただ好きなだけ。だって、ストーカーも愛だし、くだらない男にとられるよりは、私のこの手で殺してしまえというのも愛なんですよ。そういう意味じゃ愛は怖いですよね。この子だけが生き残ったらかわいそうだと子どもを殺す親子心中も、愛でしょう。そう考えたら、愛ほど怖いものはない。ある意味、憎しみより恐ろしい。
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多川 |
鈴木さんの考える、愛国の流儀とはどういうものですか?
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鈴木 |
愛国には愛国の作法があるということ。それは、どんなに考えや思想の違う人とでも、対話し続けることでしょう。相手があって、自分の意見があって、そこで化学反応が起こって、お互い変わることがある。それが対話だと思うんですよ。
哲学者・ヴォルテールの言葉「君の考えには反対だ。でも、それを言う自由は命をかけて守る」ということです。でも実際には、どんな論戦の場やテレビの討論会に出ても、「人がそれを言う自由」を守る人なんて誰もいないですよ。ちょっとでも自分の意見や考えと違えば、命をかけてつぶそうとする。 |
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多川 |
ですね・・・(笑)。
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鈴木 |
よど号にしろ、オウムにしろ、連合赤軍にしろ、自分がやってこなかったことをやった人は、思想や考え方は違えども、僕は偉いと思っています。自分はそこまで突き詰められなかった。そういう人に対して自分はだらしがなかったなあと。
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多川 |
鈴木さんって、ひょっとして、人に影響を受けやすいですか?
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鈴木 |
受けやすいです。今も完全に受けています(笑)。きっと、ミーハーなんですよ。自分がないんでしょう、きっと。ただのバカなんじゃないですか。
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多川 |
いや、何もそこまでは(笑)。たぶん、人が何をどう思うのか知りたい、人が好きなんですよ。
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鈴木 |
ああ、好奇心ですね。僕はプロレス好きなので、どんな技でもかけられたい、受けてやる!みたいな、そういう意味での自信はあります。今、柔道をやっているんですが、思想運動においても受け身が必要なんですよ。これしかないと思い詰めてしまうと、恋愛でも就職でも、失敗したら死ぬしかなくなる。失敗しない人生ってないですからね。僕なんて、100%失敗の連続ですよ。
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多川 |
負けても負けない、受け身ですね。
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鈴木 |
先日、ベネズエラ人の伝説の国際テロリストを描いた映画「カルロス」を観たんです。日本赤軍、リビア、カダフィ、旧ソ連から依頼され、80人以上もの人間を殺しているテロリストなんですが、ただのテロリストではなく、帝国主義と徹底的に闘った男なんですね。「俺はただの人殺しではない。俺の弾丸にひとつひとつの思想がある」と。
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多川 |
うそみたいに格好いいですね。
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鈴木 |
はい。格好いいです。だから女性にもむちゃくちゃモテて、金もあるからやりたい放題、ゴルゴ30みたいなもんです。
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多川 |
大体、アニメや映画の正義のヒーローって、精神スタイルは右翼ですもんね。タイガーマスクとか(苦笑)。
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鈴木 |
確かに、反戦平和主義のヒーローはいないね。でも、今の時代、カルロスみたいな過激な活躍は不可能だからね。カルロスだって、東西冷戦が終結してテロの仕事がなくなるとぶくぶく太っちゃって、結婚して子供ができるとただの親バカで安穏と暮らしているところで捕まっちゃうんです。人間、緊張感がなくなると、ダメですね。
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多川 |
以前、初めて反原発デモに行ってみたのですが、反原発のデモ行進を阻むように右翼系の団体が「左翼にだまされるな!」と叫んでいて、そういう論外な姿を見ると、どうしようもない垢抜けなさを感じます。
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鈴木 |
いや、その通りですよ。右翼の中にも、日本の国土を守る者として、原発は許せないと考える人間は多いんです。でも、今さら左翼と一緒に反原発を唱えるのは、自分たちの美学に反すると思う。僕は今、「右から考えるデモ」をやってますけど、一緒に活動している連中は勇気がありますよ。でも、右翼が本気で「反原発」に反対なら、街宣車で乗り込んで実力で潰しにかかりますよ。でも、そういうことはしない。つまり、本音では彼らも「反原発、脱原発」なんです。気持ちとしてやりたいけど、転向したみたいで恥ずかしいからできないというのが、正直なところなんじゃないですか。
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多川 |
どうでもいいメンツに汲々とこだわるところが、「らしさ」かもしれませんが、それならそれで、さっきの「カルロス」じゃないですが、男が惚れる男でないと伝わらないでしょう。不器用な真ごころが。
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鈴木 |
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以前、藤本さん(金正日の元料理人)に聞いたんですよ。彼は学生運動もやってなかったし、とくに宗教や思想やイデオロギーがあるわけでもない。なのに、なぜ「命をかけて北朝鮮に行こうと、やってやろうと思えたのか」と聞いた。そしたら、「自分はギャンブラーだから」と言ってた。命がけで勝負に賭ける人って、いるんですよね。普通の人はやろうと思ってもできない。政治家だって、「政治生命をかける」とは言うけど、政権の延命に必死なだけで自分の命までかけてない。
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多川 |
鈴木さん自身は、そうなろうとは思わない?
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鈴木 |
いや、信念がないから。そういう人たちに憧れているだけです。僕は、そういう真似のできないすごい人たちのことを書くことで、少しでも役に立てたら、恩返しできたらいいなと思うだけです。
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多川 |
鈴木さんが今、取り組んでいる反原発デモ。40年前と比べて、鈴木さん自身、変化というか違いを感じますか?
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鈴木 |
何より違うのは、安心感ですね。昔のデモは、正面から権力と闘って、警察を見れば「国家の犬め!」と殴りかかってましたから。ただもう60、70歳になってそこまで血気盛んにやれないし、捕まるのはちょっときつい。機動隊と衝突して、死ぬかもしれない本気のデモは今はもう難しいですね。
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多川 |
でも、40年前だったら、やります?
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鈴木 |
やります、やります。警察官と乱闘になって捕まることが勲章になると思っていた。拘置所で寝泊まりするくらい何ともない、肉体的にも若かったし、覇気もあったし。
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多川 |
でも、権力と闘った経験のある共闘世代の人たちでも今はやれないというは、時代の変化なんでしょうか・・・。
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鈴木 |
闘う時代が終わって、闘うことが恐くなった。あと連合赤軍のショックがあまりにも大きかったから、自分以外の人や社会のことを考えすぎるとああいう風になる。「くわばら、くわばら」の総括で終わってるから、ダメなんだね。政治もマスコミも出版社もみんな一緒で、争うこと、闘うことが恐くて、ネットなんかでちょっと騒がれたら自主規制がかかる。来るなら来いと、徹底的に論戦すればいい。どんなに批判され、叩かれ、潰されても、それで死ぬわけじゃないのに。学生運動をやっていた人間には、体制権力との闘い方、ケンカの仕方を伝えていく使命があるんですよ。
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