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政治活動家 鈴木邦男さんスペシャルインタビュー 第3回 1960-1970 「就活」より「運動」の時代。

第3回 1960-1970 「就活」より「運動」の時代。

編集部多川(以下多川) 安保闘争など当時の映像を見ると、大学生が一丸となって闘っていたように映りますが、でも実際にはそういう運動にのめりこんでいた学生というのはほんの一部だったんですよね?
鈴木邦男さん(以下鈴木) 左翼学生も右翼学生も大学全体から見たら少数です。大半の学生は、安保や政治のことなんか無関心で、恋愛したり、遊んだり、普通に青春してましたよ。それに、僕らの頃は高校を出て大学に行く人が1割もいなかった時代ですし。だから全共闘とはいえ、社会全体を巻き込んだ闘いではなかったんですね。

多川 その学生運動をやっている層は、先鋭的というかイケてる感じだったんですか?
いわば革命ブームの最先端にいる躍動感やある種のステイタスを感じられる部分があったんじゃないかと。

鈴木 そうですね。ステイタス、ありましたね。

多川 でも、マルクスやレーニンやスターリズムや毛沢東など、当時の学生って、言うことが違いますよね(苦笑)。

鈴木 携帯もパソコンもなかったから、あの頃の学生はよく本を読んでいたと思います。吉本隆明なんかは、読んでないと恥ずかしかった。敵を知るために、右翼学生でも吉本隆明は読んでいました。大学で友だちと会うと「レーニンを読んだか?」とか、大体そういう会話が毎日のようにあるんですよ。
鈴木邦男
多川 政治や国家のあり方を論じるだけにとどまらず、それを自分たちの力で変えていこうと、実際に行動することに対して、躊躇したり迷ったりする気持ちはなかったんでしょうか?
鈴木 60年代は、中国の文化大革命やパリの5月革命など、世界中で若者の反乱が起こっていた時代で、世界の空気がそうだったんですよ。だから、自分たちも時代の流れに乗り遅れちゃいけないという気持ちが強かった。
多川 何より、楽しかったんじゃないですか?
鈴木 あ、そうですね。他に楽しいコトがなかったんですよ。下宿の部屋にはテレビもないし、クーラーもないし。扇風機を買ったヤツは、みんなに「ブルジョア的だ」と総括を要求されたりして。「ベトナムでは罪もない人民が毎日殺され、アフリカでは飢餓で死んでいく子どもがいっぱいいるんだ。なのにお前ひとりだけが贅沢するのは、犯罪的だ」って批判されて。そいつは泣いて自己批判していましたよ。自分だけ扇風機にあたって涼しい顔して生活することが堕落であり、犯罪だと思える時代があったというのは、今となっては懐かしいですね。
多川 あと、よく比較されるのが、あさま山荘事件の赤軍派とオウム信者。確かに、80〜90年の好景気バブル経済時代に物質的繁栄に浮かれた世の中や人々に虚無感を感じ、理想の社会を実現するために武装化し暴走していったオウム信者の入信の動機と赤軍派メンバーの純粋に社会正義を追求する姿勢は似ているのかもしれませんが・・・。鈴木さんはどう思われますか。
鈴木 昔、『朝まで生テレビ』で元連合赤軍とオウム真理教元信者が討論したとき、オウム関係者は、我々は仲間を殺したりはしない。連合赤軍は、我々は一般の無関係な人を殺したりはしない。だから双方「おまえたちとは違う」という平行線。客観的に見れば、どっちもどっちで卑劣だと思うけど。でも、そういう考え方まで似ているんだなぁと妙に感心してしまった。基本的に両方とも優秀な大学を出たエリートが多かったわけだから、そういう優秀な人が陥りやすい思考なのかもしれないけどね。

多川 頭がいいだけに、現実とかけ離れた幻想を自分の頭の中で理論立てて組み立てることができるじゃないですか。だから頭から信じ込みやすいのかもしれないなぁと。ただ、オウム信者の場合は、自分自身の人格や魂の向上みたいな「自己実現」が目的だったわけで、「社会のため、世界のため、人々のため」に一兵士として闘おうとした60〜70年代の赤軍メンバーとは、個の意識の持ち方が違うような気もします。

鈴木 自分がどうしたいとか、どうなりたいと思うこと自体が、自己中心的な堕落した考え方だと思ってましたから。それは右も左も一緒でしたね。若松孝二監督(10月17日逝去)の映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』を観ると、当時の自分たちの姿やあの時代の空気、風景が驚くほどあまりにもリアルに描かれていて、あらためて映像の力を思い知らされましたね。
演じている今の若い俳優さん、主演の井浦新さんだとか満島真之介だとか、彼らは40年前のその時代を知らないじゃないですか?なのに、その時代の学生達の顔つきや表情そのものに見えてくるのが不思議でした。三島(井浦新)が東大左翼学生と議論しているシーンや、「実録連赤」でいうと山岳ベースで仲間を総括リンチする場面なんか、驚くほどリアルで真に迫っていて、震えるほど感動しました。で、それはなんなんだろうと思って。若松マジックなのかもしれないけど、案外、そういう場にいてそういう空気に触れると、今の若者だってそうなるのかもしれませんね。

多川 鈴木さんは、主流の左翼運動ではなく、それに抵抗する少数右翼学生だったんですよね。左翼の学生たちは、マルクス、レーニン、世界同時革命みたいな時代の流れに反応したのかもしれませんが、鈴木さんたち民族派の学生達はどういう思想、大義名分を掲げて挙党したんですか?

鈴木 とくにこれという思想はなかったですね。
多川 えっ?(笑)いやでも左翼学生達の主張に対する敵対心や許せない怒りがあったんですよね?

鈴木 それはもうありましたね。彼ら(左翼学生達)がいう国家権力からの解放、人民の自由・平等を勝ち取るための革命というのは、確かに正しく聞こえるんだけど、自分が信じる正義ではなかった。共産革命をコントロールしているのは中国やソ連の共産党左翼であり、もし日本が共産化したら中国やソ連の属国になり、そうなれば天皇制も廃止され日本がなくなってしまうという危機感から、日本を共産化しようとする相手(左翼勢力)をたたきつぶすのが僕らの運動の目的だった。
多川 何かの記事で、最初は自分たちが「右翼」だということも知らなかったみたいなことをおっしゃられていて、好感を持ちました(笑)。一般に、右翼学生はゴツゴツと男臭い、柔道部とか剣道部とかのイメージなんですが、やっぱりそうですか?

鈴木 基本的にそう、体育会系ですね。見た目的にも左翼の方が圧倒的に支持されてたし、女の子にモテるのは絶対、左翼でしたよ。とにかく左翼の勢力がすごくて、彼らは頭がいいから、論戦なんかしてもこっちは思いっきり論破されて、殴られたりして。で、「おまえら右翼は」って敵に言われて、その時初めて「俺たちは右翼なのか」と、そこから右翼思想に目覚めたりなんかして。

多川 三島由紀夫もそうですが、当時は右も左もそういう学生運動をバックアップする思想家や文化人、熱い大人たちが大勢いたんですよね。

鈴木 左翼学生もそうだったと思うけど、僕らの運動を応援してくれる先生や保守派の文化人がたくさんいました。運動資金をカンパしてくれたり、無料で講演会に来てくれたり。そういう意味では、共に闘う気概と情熱のある文化人がいた時代だったのかもしれない。
多川 一般社会の世間の人々から見たときに、学生運動をやってる若者は物騒だと煙たがられたり嫌がられることはなかったんですか?
鈴木 逆ですね。まず、世間の人たちが大学生を見る目が今とは全然違う。何しろ、大学進学率が1割にも満たない時代ですから、一生懸命勉強して将来この国を背負って立つ若者の代表だと、食堂に入れば「たくさん食べて」とおまけしてくれたり、デモで警察に追われて逃げる学生が普通の家に逃げ込めば、かくまってくれたり。今だと、すぐ110番されますよね(苦笑)。
多川 兵隊さんみたいな?
鈴木 そうだね。やってることは過激だけど、でも国のことを考えて闘っているんだからと大目に見てくれる人たちが多かった。どこか牧歌的なあたたかさはあったかな。
70年のよど号ハイジャックのときでもね、ハイジャックされた乗客たちも、「学生さんだし、そんなひどいことはしないだろう」と安心していたと言っています。学生に対する信頼感があったんですよね。

多川 社会全体の善悪の基準が緩やかというか、今ほど神経質じゃなく大雑把だったんでしょうね。

鈴木 そう。警察官に石を投げて捕まっても、2泊3日で出てくる。今だったら何年かぶちこまれますよ。当時は学生に対して甘かった。

多川 でも学生時代にどんなに暴れても、卒業すれば大手企業に就職できるというのが、今の時代からは考えられないです。今、就職面接で「自分は、日本民族の誇りと自由を守るために〜」とか、「世界同時革命を果たすために〜」みたいな思想を語られて採用する企業なんか絶対ないですよ。

鈴木 当時はそこが違うんだよね。大企業ほど、学生運動をやったり、警察に捕まってぶち込まれましたという学生の方を採用したんだよね。60年安保、70年安保と、日本の危機ともいえる今、世界では左翼革命が盛り上がっている時代の最中に何もしないで女遊びしているようなヤツはダメだ。むしろ、デモに行って捕まるぐらい度胸と骨のあるヤツのほうがいいということで、僕も産経新聞に採用されたわけです。
多川 当時の経営者や企業人というのは、ほとんどが戦争経験者ですよね。だからこそ、そういう血気盛んな反骨心の強い人間に見どころを感じたというのはあるんじゃないですか?

鈴木 産経新聞に入社したときに、相当過激な運動をしていた早稲田の学生が、社長に向かって自分の政治思想を語ったんですよ。でもそういう新入社員に対して、社長はきっぱり言い放ちましたよ。「我々は君たちを変える自信がある」と。経営者には経営者としての信念があったんですよ。今なら、そんな思想かぶれの変なヤツが会社に入ってきてかき回されるのは迷惑だと、最初から採用しないでしょう。でも、あの当時の社会には大勢いたんですよ。やれるもんならやってみろといえる実践経験と度量のある大人が。

鈴木邦男
撮影/岡崎健志
014 政治活動家 鈴木邦男さん Interview
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すずき・くにお

1943年福島県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。在学中から民族派学生運動に参加、全共闘運動とは激しく対立する。生長の家系の「全国学協」の初代委員長に就任。その後、組織の内紛で運動を離れ、産経新聞社に勤務。72年に「一水会」を結成。新右翼として注目される。99年「一水会」代表を辞任、顧問に。幅広い分野の人たちと交流をもち、様々なテーマで執筆活動を続けている。

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