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社会学博士 大澤真幸さんスペシャルインタビュー 第2回目

第2回 携帯小説は、なぜあれほど悲惨なのか。

編集部多川(以下多川) 先ほど、物語にできない、物語にならない人生について語っていただきましたが、今の若い人たちはとくに「物語」になりえるような体験がないということなんでしょうか。
たとえば、以前に先生も論じておられた若者の携帯小説などは、レイプ、中絶、恋人の死など、悲惨な出来事、不幸な事件がこれでもかというくらい次々に起こるだけ、それだけなんですよね。
大澤真幸さん(以下大澤) そこに彼らの「飢え」があるわけです。
多川 語れるだけの何か?
大澤 そう、人が生きていくためには、自分の人生、失敗や過ちも含めすべてがムダでなかった、無意味ではなかったと思える「物語」が必要なのです。
自分の人生に「物語」をつくり出す例をあげると、メリルストリープとクリント・イーストウッド主演の映画「マディソン郡の橋」。

アイオワ州のど田舎で平凡で退屈な毎日を送る主婦(メリル・ストリープ)が、町を訪れた『ナショナル・ジェオグラフィック』のカメラマン(クリント・イーストウッド)と出会い、恋に落ちる。その4日間の情事があったおかげで、彼女は自分の人生を生きられた。映画は主人公が既に亡くなった後、彼女の40代の中年になった息子と娘が、母の遺した手紙と日記を発見するところから始まります。そこには、町を訪れたカメラマンへの愛が綴られていた。
「私が生きた証しとして、あなた方に告白しておきたいことがひとつある。実はあなたたちが16、17歳のときの4日間、これこれしかじかの情事があった。そのときどうしようか迷ったけれど、結局あなたたち家族が捨てられなかった」と。この主人公の女性は、いい人だけの夫、平凡な子供たちがいて何の冒険も不安もない、これといって何もない日常が耐え難かった。でも、この“4日間”があったおかげで、自分の人生にひとつのアクセントがついて、人生の全体が物語になるわけ。私には本当に愛した人がいて、一緒に生きることは断念したけれども、その人のことを一生思いながら生きている。そして、相手も自分のことを思い生きていると思えることで、物語になるのです。つまり、その“4日間”のおかげで、どんなにつまらなく退屈な人生でも生きられたと。

多川 つまらなく退屈な人生の大切さに気づくにも、その『マディソン郡の橋』みたいな劇的な出来事が必要なんでしょうか・・・
大澤 そうです。携帯小説の登場人物たちは、言ってみればひとりひとりに物語がないんですよ。ない中で『マディソン郡の橋』みたいなドラマティックなストーリーを描こうとすると悲惨な現実を付け加えていくしかない。
『マディソン郡の橋』の主人公は、これ以上あり得ないぐらい相性の合う人と出会い、その人と駆け落ちして、すべてを捨てても一緒になりたかった。けれど、自分には子どもがいる、夫もいる、とても捨てきれないと引き裂かれる思いで別れる。その辛さ、葛藤、苦悩、痛み、傷が、人生をドラマティックに変え、メリハリを与えるスパイスになっている。いわば、その“4日間”によって人生全体がピリッと引き締まりましたみたいな。

多川 ああ、たとえば料理でも、何か物足りないときは塩を利かせるみたいな。登場人物そのものに味がないから、ひたすら刺激を加えていくしかないわけですね。
大澤 ちょっと塩を入れると、味がおいしく引き締まる。携帯小説は、その塩をバンバン入れて、コショウに辛子、わさびにタバスコも入れてみようと、気がつけば、刺激的な調味料だけでできている料理みたいなもの。

多川 まさに、そう!携帯小説って、それが起こる背景や脈略、人間関係などがごっそり抜け落ちていて、ただただ悲惨な出来事のてんこ盛り状態。何が悲しいのか、どこに泣けるのかが、わたしにはサッパリよくわかりませんでした。
大澤 悲劇というのは、悲惨で不幸な出来事が起こるから悲しいというより、その絶望、逆境を乗り越えようとするところに生きる人間の悲しみがあるわけですよ。つまり、悲しみや苦しみを肯定できてはじめて物語になるんです。
自分という存在、自分の人生、生き方、「生」そのものを肯定するには、ある種のメリハリの効いた悲劇が必要なんですよね。
多川 はぁ・・・でも、そういうダイレクトな刺激がなければ人生の喜怒哀楽、自分の物語が思い描けないというのは、それこそ悲劇。でも、それも物語化できない悲劇ですね。
大澤 『マディソン郡の橋』は、さらにプラスαがあって、主人公の手紙を読んだ中年の息子と娘もまた、それぞれに空虚な思いを抱えて生きているわけです。息子は、家族がバラバラで家庭がうまくいっていない。娘は旦那が優しい人だと思って結婚したけど、実は「今まで夫とのセックスに喜びを感じたことは一度もない」と、今では離婚を考えている。2人とも20世紀後半の普通に恵まれた都市生活を送っているわけだけど、つまらないんですよね。でも、お母さんの告白を読んだおかげで、自分の人生を見つめ直し、肯定的な気持ちになる。つまり、お母さんの物語が、息子と娘を救ったと。ひとつの不倫のおかげで、三人分の人生が救われたという、そういうお話なんです。
撮影/編集部
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社会学博士 大澤真幸さんスペシャルインタビュー 第2回目




おおさわ・まさち

1958年長野県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。現在は明治大学非常勤講師を務める。著書に『不可能生の時代』(岩波新書)、『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎氏との共著/講談社現代新書)、『二千年紀の社会と思想』(太田出版)、『夢よりも深い覚醒へ 3・11後の哲学』(岩波新書)など多数。思想月刊誌『THINKING「O」』(左右社)主宰。

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