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カルーセル麻紀さん スペシャルインタビュー 第3回目

第3回 パリ、モロッコ、性転換の旅。

編集部多川(以下多川) 今は「おねえキャラ」とひとくくりで呼ばれますが、実際にはゲイ、ホモ、ニューハーフなどそれぞれ微妙に異なる特性・趣向・価値感があるんですよね?
カルーセル麻紀さん(以下カルーセル) ありますよ。ゲイと言っても、普段は普通の男性として女性と結婚してる人もいるし、どぎつい化粧にミニスカートはいたオッサンもいたり、色々いるわよ。2丁目に行くと路上で男同士が抱き合ってキスしてるじゃない? 見苦しいったらないわよ(笑)。だから「こら、お前ら、何やってんだよ!」って怒鳴りつけると、「きゃー先生、こわい〜」って、おまえらの方がよっぽど怖いってもんよ。
多川 大阪の新世界にも、いかつい名前の「ホモバー」がひしめいていて、わが目を疑うほどビビッドでセクシーな出で立ちの歯の抜けたおっさんたちがうじょうじょいたり(笑)。でも、そういう意味不明な光景に触れると、神も仏もあってたまるか!みたいな何でもアリな気分になれるのは事実です。
カルーセル ほんとねぇ。だからわたしはすべて一括りに「オカマ」と呼ばれるのはプライドが許さないわよ。やっぱり美しくないと、品がないのはイヤ。ゲイ文化の都・パリでは、ゲイやニューハーフの世界にもきっちり階級制度があるの。ゲイが集まる店や通りは、女性は絶対入らせないし。女人禁制よ。
多川 わたし、カルーセルさんを見るたび、凄味の効いた優雅さというか、棘のあるバラの美しさというか、何というかパリ特有の洗練を感じるんです。ファッションもヘアスタイルも、ヌーヴェル・ヴァーグの女優みたいですし。
カルーセル 女優の中谷美紀さんと映画でご一緒したとき、メイク室で今みたいにこうして髪の毛をアップにしてる私を見て「カルーセルさんって、ジャンヌ・モローみたいですね」って、あのお上品な声で言われたのよ。光栄だけども、わたしがめざすのはジャンヌ・モローじゃなく、ブリジットバルドー。あの奔放で小悪魔的なセクシーさと無造作に計算されたファションセンスが大好きなのよ。

多川 カルーセルさんは長くパリにも住んでいらしたとか。それはどういう経緯で?
カルーセル パリのポンヌフに日本人が新たにゲイバーをオープンする話があって、そこのママにならないかというお誘いがあったのよ。ちょうど私が30才のときよ。若い頃お世話になった銀座の有名なゲイバー「青江」のママからその話を持ちかけられ、これはチャンスと飛び乗ったわよ。だってパリからだとモロッコもすぐじゃない? だからこれを機に念願の性転換手術を果たそうとパリに旅立ったの。

多川 フランス語は話せたんですか?
カルーセル 当時は話せなかったから、とりあえず向こうに着いてから語学学校に行ったのよ。そこでパスポートをみて、「ムッシュ、イララ?」っていうから「ウイ」って手を挙げると、「OH! パルドン、マダム(ごめんなさい、お嬢さん)」って言って、またパスポートをみて、「うー?? ムッシュ?」ってなってね、クラス中大笑いよ。悠長に「アーベーセー」から習ってる時間もなかったらすぐに辞めたの。とにかく店をやるのに使える言葉を覚えないといけないから、夜な夜な街に繰り出して、ジゴロ風の日本人をうちに呼んで、ごはんを食べさせる代わりに教えてもらったのよ。手書きで、悪い言葉からね。
多川 さすがですね(笑)。ゲイバーの仕事の方は?

カルーセル 店に泥棒が入ったり、色々トラブルもあったけど、まあでも商売は順調だったわね。パリはゲイ趣味の人たちが多くて、お客さんもいっぱい来てくれたし、ゲイ友だちもたくさんいて、ゴージャスでスリリングなパーティも色々楽しめて、最高だったわよ。で、世界的に有名な「カルーゼル」というゲイバーがあるんだけど、そのお店のニューハーフたちに「性転換」のための情報やコネクションを教えてもらったの。
多川 これもまた「徹子の部屋」情報なんですが、モロッコの病院には世界中から女になりたいゲイやニューハーフが集まってきて、手術の後、ちゃんと「女」になってるかどうか、作りたてのアソコをみんなで見せ合うんだけど、「基本のカタチ」を誰も知らないから、その内の1人が付き添いに連れてきた妹に頼んで「見本」を見せてもらったとか。
カルーセル そうよ。恐る恐るイタリア人の妹さんのと見比べて「一緒よ〜!」って、みんな抱き合って大喜びよ。でもそんな歓喜のときはつかのま。わたしの場合は麻酔薬がきつ過ぎたせいで、術後三日間は意識はもうろう、40度近い高熱がずっと続いて、股間の傷口が化膿して地獄の苦しみよ。その股間の炎症が痛いのなんのって、壮絶な激痛に気絶しそうだったわよ。でもモロッコの医者も看護婦もいい加減というか適当なもので、どんなに訴えても「サヴァ、サヴァ(大丈夫、大丈夫)」と真剣に相手にしてくれないもんだから、最後は看護婦にお金を渡してオペの道具を持って来てもらって、自分でメスを持って股間から化膿した皮膚を引っ張り出して切り取って、ガーゼを詰めて手術したの。
多川 ブラック・ジャックじゃないですか!(笑)
カルーセル 切羽詰まって生き延びようと思ったら、人間、どんな痛みにも耐えられるのよ。
でも、今思い出すと、ゾッとするけど。
多川 しかも、モロッコの病院の医療ミスでどうにかなったとしても自業自得みたいな、あきらめるしかない状況ですよね。
カルーセル 今もそうだけど、麻酔のミスで亡くなった子もたくさんいるし、私もそうだったけど、ゲイの仲間たちは神の審判を受けるような覚悟で手術にのぞんだのよ。最近は医療の進歩もあって、そこまで危険なことはないだろうけどね。面白いのは、造膣手術にもアメリカ式とかタイ式とか産地によって微妙に形が違うの。「あんた、どこ産?」とか見せ合ったりすると、大抵わかるわね。
多川 通の利き酒みたいなもんですね(笑)。カルーセルさんが性転換手術をしてよかったことは、やっぱり完全に女になった歓びですか?
カルーセル それはもちろん、生まれてからずっと、そうなるために生きてきたようなもんだから。でもそれ以上に、今までショーに出るときはいつもガムテープで前張りしてたのが、しなくてもよくなったことが嬉しかった。水着もレオタードも紐付きパンティも何でも来いよ。それに、邪魔な突起物がなくなったおかげで踊りやすくなったし、パフォーマンスの幅が広がったわね。だから、手術に挑んだ自分の本心としては、女として愛されたいというよりも、ダンサーとしてもっと上手く踊りたいプロとしての情熱、執念、野心の方が大きかったの。

多川 たとえば「性転換手術を受けました」ということは確かにすごいことではあっても、それだけだと普通の人々にとっては共感しても理解できない部分があったりするわけじゃないですか。でも、カルーセルさんの場合、「女になること」は、プロのダンサーとして自分を磨き高める手段であって、それが目的ではない。だから、いくつになっても果敢に挑み、攻め続けられると思うんです。何というか、方法、やり方、生き方は特殊であっても、自分の人生の価値を自分で切り開いていこうというカルーセル麻紀の意志、情熱、執念は普遍的な共感を呼ぶものだと思うんです。
カルーセル わたしは、人間、生まれたからには自分の個性をとことん発揮して生きるべきだと思うの。わたしの場合は、ずっと人とは違う性に苦しみ続けたけど、そういう不幸な苦しみ、悲しみ、苦悩、困難、試練が、誰にも似てない独特の個性を育て、輝かせるものなのよ。わたしがパリを愛するのも、フランス人は何よりその人の個性を尊重する文化があるから。個性こそが「美」なのよ。今、韓流ブームか何だか知らないけど、韓国からたくさん可愛い子ちゃんが日本に来てるわよね。でも、みんな同じ顔で誰が誰だかわかんない。個性がない、オリジナリティがないってことは、成熟した大人としてもっとも恥ずべきことよ。

撮影/岡崎健志
011 カルーセル麻紀さん Interview
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カルーセル麻紀さん スペシャルインタビュー 第3回目




かるーせる・まき
1942年北海道生まれ。15歳で高校を中退し、札幌の「クラブ・ベラミ」などで働き始める。その後、大阪「カルーゼル」をはじめ全国のクラブで人気を博す。19歳のとき、市川猿之助のすすめで、日劇ミュージックホールのオーディションを受け、以後、舞台、映画、テレビなど幅広く活躍。1972年、モロッコで性転換手術を受ける。2004年、戸籍の性別変更を届け、戸籍上も女性となる。

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