編う |
監督は現在もAV作品の方は撮られているのですか?
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村西 |
はい、もちろん。
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編た |
30年前から作品を撮り続けてこられて、監督自身がつねに追求してこられたテーマとは?
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村西 |
やはりリアリティでしょうか。セックスはフィクションであっても、ストーリーはノンフィクション。たとえば、近親相姦物を撮るとします。ところが実際にそういう関係にある息子とおかあさんを撮影に連れてきても、まったく背徳の匂いがしないわけです。何しろ日常的にあたりまえにやり込んでいるわけですから。そうなると我々が抱いているイメージとは随分違ってきますよね。「よしおくん、やめて、おかあさんは死にますよ」「おかあさん、最後だから。これで僕は家を出て行くからお願いだよ!」とかなんとか、そんな台詞を言わせて泣きの涙でやってこそ、みんなドキドキ興奮するわけです。だから嘘でしか、真実は描けない。
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編た |
背徳の匂いがないと、ただの営みになりますもんね。
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村西 |
ところが今は、そういう情緒や叙情性みたいなものがなかなか伝わりにくい時代ですね。人生の不条理や人間の深層を抉るような、どうにもならない、どうしようもない感情のほとばしりがないと燃えないでしょ。ただやればいいなんて、そんなものではないです、セックスは。ですから私の場合、カメラを回すというより、言葉で映像をつくっていくような感じです。女優さんに色んな言葉、様々な問いかけをしながら、彼女が思っているよりもっと本質的なところをあぶりだしていく。何でしょう、真実を汲み取っていく巧みさとでもいいましょうか。
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編う |
その監督の創作意欲の源泉は、喜んでもらいたいという思いなのでしょうか?
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村西 |
そうです。妄想の世界で遊ぶ愉しみをご提供することで、喜んでいただけたら何よりなのです。年齢をとると趣味趣向、考えや価値感が変わっていくように、セックスの美意識も変わりますよね。若い時は巨乳好きだったのに年をとると細身が好きになったり、アタックが好きだったのがレシーブが好きになったり。セックスのありようも人生とともに螺旋階段のように変化していくものです。そういう人々に向けて「貴方のセックスのありようは、こういうことではないですか?」「貴方のストライクゾーンはこれではありませんか?」「今となっては、これでしょ?」と、新たな方向性をご案内していくのが私の務めではないかと、そう思っています。
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編た |
AVは、男性にとっての自己発見の場でもあるわけですね。
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村西 |
まさにそう、疑似体験を通して自己を発見していくわけです。俺のセックスはこのままでいいのか、俺のセックスはこうじゃないのか、あるいはセックスの匠になるにはどうすればいいのかしらとお悩みの女性の方も、迷わずAVを観ていただきたい。自分はこうだと思い込んでいる自分とはまったく真逆の、信じられない自分に出会うことができるんです。町内会のみなさんに聞こえるぐらい声を出しながら「あら、私ってこんなにアナルが好きだったのかしら」とかね。たまにはお庭で、なんていうのもいいですね。いわば食生活と一緒です。そういう観点から、つねに皆さまの新鮮な発見や喜びにつながるような旬のメニューやレシピを色々とご提供しているわけです。
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編う |
先日、「ラジオデイズ」の平川克美さんと釈撤宗さんとの対談で、監督が死の恐怖を埋めるものが唯一セックスであるということを話されていました。昔は、その土地に伝わる祭りごとや風習として死の恐怖を埋める風俗的な儀式があったと。それが現実主義の今の時代、死の恐怖を鎮める方法がセックスだと。
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村西 |
私たちは必ず死にますね。それゆえに、死んだら本当に自分はなくなるのか、死とは何かを考えるわけです。ギリシャの哲学者・エキプロスは、人間には死はないと言っています。自分が死んだことを人は確認できない。確認できないものはないと同じだと。では、ないものを畏れるとはどういうことかと。
それは愛する者との別れが耐えられないからなんです。
私は毎朝、亡き両親の仏壇に線香をあげながら心の中で話しかけます。「お元気ですか?」と。死んだ人間に「お元気ですか?」なんておかしな話ですが、それは心で想う、心でつながっているというしかない。私の命がある限り、父母の命も同時進行として永遠なんです。であれば「目に見えないけれどつながっている」と体感できるものがこの世にひとつなくてはいけません。未来永劫の魂を信じて念仏を唱えるとか、そういう非日常的なものではなく「こんなもんでいいか」と身近で手頃なところでまかなえる日常的な営みとしてそういうものがないと信じられないのが人間です。それが何かというと、セックスなんです。
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編た |
セックスでつながっていると感じたとしても、それは一瞬で終わるものですよね。それがいわば、生きているということで、生きて喜びたいのなら、一瞬で終わるしかない。だから死ぬということも受け入れられるというような・・・。
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村西 |
なぜセックスがこれほどのエクスタシーをもたらすのか。それは人間の命は永遠ではないからですよ。もし永遠だったら、人間は人間でありえない。喜びも感動も、考えることもしないでしょう。命は有限で、いつか死んでしまうから楽しめるし、泣くし、笑うし、他者を思いやり愛する心が持てるということです。純真な死があるから、エクスタシーを感じる。
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編う |
いきなり、深いところに話が・・・。
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村西 |
ということで、私たちはある程度見切って生まれてきたということです。永遠の命を選んで喜怒哀楽を持たない人生を選ぶか、はたまた限りある命であっても、愛する人、愛する家族を失いたくないと思える人生を選ぶか。思いたい、愛したいとなれば死を選択するしかないわけです。エクスタシーも同じ。この愛を失いたくなければ死を受け入れるしかないという境地の世界なんですよ。
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編た |
つまり死のないところにエロスは存在しないということ。
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村西 |
有限の命でなければ、エロスはないんです。人間の心が劇的に興奮し、高揚し、パワフルに喜びを感じる頂点がセックスです。神様は私たちに生命力というものを下さいました。そして、その生命力の源泉、人間が人間である根源がエロスなんです。その象徴としてあるのがセックスだと、本来はそういう語られ方をすべきだと私は思うんですね。テクニックだとか、そういうものは関係ないです。
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編た |
永遠に生き続けるとなったら、何が何でも死にたくなりますね、きっと。
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村西 |
そう、みんな我先にと死に急ぎますよ。おとぎ話のような前世の物語や魂がどうのこうのと触れ回っておられる方はたくさんいますが、永遠を語るということがどれほど罪深いことかと。そんなことを言う人は本当に人の苦しみや悲しみを知っているのだろうかと、残酷な事を平気で言うなと、私などはただただ恐れおののくばかりでございます。
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4件のコメント
村西監督もさすがに年波が顔に表れていて驚きましたが、仕事への情熱や論理、原理にはわずかな衰えもなく尊敬に値します。村西とおるが現れたときは次々と驚愕する作品を送りだしてくれましたが、あれから30年近くも経つのに第一線で活躍する力はすごいの一言です。また世間を騒然とさせる作品を発表される日を心待ちにしております。最近はスタイルが良くてキレイな女はいくらでもいるけど近くにいるだけでそそるいい女や品のある女がめっきり減りました。男にも顔はブスでもやってみなければ分からない女の良さがある事を、女に車のカタログみたいにデータと実際は違う事を再認識させるような熱い作品が見たいです。
エロの師事を卓越した監督の人間性に感銘しました。
一途で不屈。ひたむきな人柄を感じます。
世の中・物事の本質をよく観ておられると思いました。
しかし、このインタビュー企画・・・人選がとにかくえぐいです!
しかし、墓の隣に住んでるから
霊魂を見た瞬間起動を変えるから
いるんではないかな・・・
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