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編た |
映画では、財津さん演じる78歳の健三郎が孫と一緒に、過去を取り戻す旅に出ます。あえて祖父と孫という関係性を取り上げたのは、どうしてなんですか?
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塩屋 |
今の時代、両親が働いていて、祖父母が子どもの面倒を見ている家庭が多かったりします。祖父母と孫のコミュニケーションは、世代の差があるだけに、親子よりも客観的に理解し合える部分があるんじゃないかと。同時に、陣内孝則さん演じる健三郎の息子は、生まれたときは母親もおらず、父親である健三郎は隔離されている。親に抱かれたことがない孤独と寂しさを背負って生きてきた。そういう父と息子の葛藤も、アナザーストーリーとして描いてみました。
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編た |
「いくつになっても、やり残したことを取り戻せる」というのが、今回の映画で一番伝えたかった監督の思いなのでしょうか?
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塩屋 |
そうですね。老いてもなお、心の中にかすかでもいいから、生きる目的を掲げそこに向かって挑戦をするということは、「人間が生きること」そのものなんじゃないかと。『ふたたび swing me again』は主人公である健三郎というおじいちゃんが人生を取り戻す旅であると同時に、もうひとつ、再生の物語が秘められているんです。
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編う |
それは?
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塩屋 |
神戸の街が、あの震災からふたたび立ち上がったという物語です。
今から4年前、僕は「2004年のじぎく兵庫国体」の観客席にいました。
スタンドは選手を応援する神戸市民の方たちで超満員。そのフィナーレで、「翼をください」を高らかに合唱する神戸市民のみんなの声、姿に僕は全身震えるほど感動した。それが震災から10年目だったんです。家屋、建物が倒壊し、廃墟になった神戸は10年かけてこんなに生き返っている。
その瞬間、エンディングはこの活気づいている神戸の街並、市井に息づく人々の表情を収めようと思いました。健三郎と神戸、2つの「ふたたび」ある今を伝えたいと。
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編た |
1度レールから外れると2度と這い上がれない、再チャレンジが難しい社会のあり方が問題視されています。塩屋さんがこの映画を通して人を元気づけたいというのは、社会的なメッセージもあるんですか?
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塩屋 |
時代的な終息感、閉塞感は2000年間近の頃からずっと漂っていますね。とくに日本は政治に対する失望感が強い。さらに経済がこんなにデフレスパイラルの中に入ると、ポジティブな発想や考えを持つことさえ空しく思える。チャレンジや冒険がなかなか許されない。
でも、だからこそ一歩踏み出す勇気が必要なんだと、夢や希望、生きる力を与えるのは、エンタテインメントをつくる人間の役割だと、僕はそう信じています。
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編た |
社会や世の中を変えるのは、やっぱりひとり一人でしかなく、そういうひとり一人の心を動かすのが、アートや音楽、文学、そして、映画というエンタテインメントの力であると。
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塩屋 |
たとえば、中国との関係においても、過去を遡れば侵略や虐殺という歴史がある。けれど今、中国には多くの日本人がいるし、日本にも多くの中国人がいる。このスタジオの近くに中華料理屋があって仲良くしてるんですけど、僕が上海万博で文化イベントのプロデュースをしたとき、彼はお店を閉めて駆けつけてくれたんです。
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編た |
中国の人は、一度仲良くなると身内かと思うくらい親身に尽くしてくれる
らしいですね。国家と個人とは違うというのは、すごくよくわかります。
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塩屋 |
国と国がぎくしゃくするのはある面しょうがない。だから僕らは、人として互いの信頼関係を築いていくしかない。人と人が互いに理解し合うとはどういうことか、それを実証する既成事実を積み上げていけばいいと思う。それは映画だったり、パフォーミングアートだったり、エンタテインメントを通してやっていくべきじゃないかと。
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編う/th>
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監督は、社会と人間の関係を見つめ直す作品に取り組まれていますが、これからもやはりそうした作品を?
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塩屋 |
いや、とくに何かこだわりがあるわけではなく、恋愛とか、おバカな話もやりたいですよ。ただ、タブー視されるような社会問題というのは企画も通りにくいし、みんな避けて通るだろうから、あえて挑んでしまうというのはあるかな。人がやらないことをやりたいヘソ曲がりだから(笑)。
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