salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

The Odd Family

2014-01-6
あの人の話

 子供の話ばかりしてきたが、当初お話したようにうちには夫がいるのである。時間軸を行ったり来たりしながら話を進めているので、皆さんも混乱されていることだろう。改めて簡単に説明すると、私達夫婦は「知り合う→付き合う→子供が出来る→別居婚」という流れで今に至っている。なんだ、出来ちゃった婚で上手くいかなかっただけじゃないかと言われればそれまでだが、私は元々子供が出来なければ籍を入れる理由はないと考えていたので、正確には「作って出来たら籍入れよう婚が上手くいかなったケース」なのだが、まあその辺はどうでもいいので判断はお任せする。問題は私達がいつ喧嘩を始めて、いつ別居婚という落とし所を見つけたかということだ。

 喧嘩は付き合っていた頃から始まった。理由は色々。その段階で別れれば良かったのに、なぜ別れなかったのか、私達にもよくわからない。一度気合を入れて別れてみたこともあったけれど、なんだかモヤモヤして上手くいかなかった。よりが戻ってからは、お互いいい歳だし子供でも作ろうかということになったが、これが出来ないのなんの。結局それでさらに喧嘩の種が増え、そろそろ本格的にマズイという頃、奇跡的に妊娠。そんなタイミングだから、妊娠~出産の時期は喧嘩のピークで、間近で強制的に話を聞かされた子供には本当に申し訳ないことをしたと思っている。あれほどの難産だったのは、「こんな連中のいる世界に顔を出すのはゴメンだ!」という子供のストライキだったのかもしれない。産院を出たらお別れする予定だったが、以前の別れ話同様ズルズルと交流は続き、結果なし崩し的に別居婚となった。今じゃ週6の通い婚の体たらくなんだから、我ながら呆れる。

 一応、産まれてからしばらくの間は週に2~3日、不定期に顔を出すという感じだったと思う。私は当時、育児休暇を取得していたから24時間自宅で子供と過ごせるが、先方は会社にそのような申請はしていない。従って、おのずと仕事帰りにうちに寄ったり、休日に手伝いに来る形になる。それ以外の行動については、一緒に住んでいないからよく知らない。私達の喧嘩は周囲も巻き込んだ結構な規模だったので、子供で一気に解決よというわけにはいかなかった。それに私達自身も、そこまで簡単に気持ちを切り替えることはできなかったのだ。

 子供が生後半年になるくらいまで、私は引き続き怒っていた。子供が可愛くなればなるほど、妊娠中の出来事が許せなくなっていった。私に腹を立てたのはわかるとして、妊婦を責めることはお腹の子をいじめることにもなるとは思わなかったのか。もうちょっと考えてくれてもよかったんじゃないか。しかも、産まれてからも何かにつけて受け身と言うか、子育てに対して積極性が感じられない。戻ると言った時間に遅れたり、頼んでいたことを忘れたり、随分片手間にやってくれるじゃないの!といちいち頭に来た。そう詰め寄ると、彼はむくれたり、キレたり、音信不通になったりした。消え入りそうな声で「一番大事なのは君達だ」と答えることもあったが、こういうのがまた火に油を注ぐのである。被害者面するなと思ったし、実際何度もそう責めた。勝手に大きな十字架を背負って「愛する子供に会えない自分」に酔いやがって、こちとら十字架どころかリアル赤ん坊背負ってるんだ。疲れ方が違うんじゃい!と舌打ちしたものである。そういえば、先方の実家の要求で家庭裁判所まで足を運んだこともあったっけ。(この頃は家の問題が最も大きな障害となっていた)0歳児の子供とオムツを抱えて炎天下の霞が関まで出向いた時は、暑さと怒りで母乳が煮えるかと思った。「もう無理!やっぱり別れる!キーッ!!」と顔が般若になるたび、子供がフエ~と泣く。「あ~、ごめんごめん!」一瞬で顔をひょっとこに変えて、あやす。また思い出して般若、子供が泣いてひょっとこ。繰り返すうち、次第にアホらしくなって般若は消えた。自分の貴重なパワーを怒りに使うなんて勿体ない。何より、子供が放つ幸せオーラは凄まじく、私の心には徐々に余裕のようなものが生まれていた。「今、私最高に幸せだし、まあいいか」そして私が落ち着くと、それに呼応するように夫の態度も軟化していったのである。

 まるで魔法のようだった。あれほどの大喧嘩をしていた二人が、子供の話で笑っている。子供が寝返りを打てば喜び、熱を出せばオロオロし、寝顔を見ては目尻を下げた。うちの子は天才だ!という全世界の親バカがやる病気も経験した。一方がオムツはここのメーカーがいいと言えば、もう一方がすぐに注文する。一方が疲れて倒れれば、一方がおんぶして子が寝るまで歩き続ける。いつしか我々はタッグパートナーになっていた。そして喧嘩をしない生活がいかに快適か、徐々に思い出していったのである。「子供は可愛い」この呪文さえ唱えていれば喧嘩は起こらないし、笑って暮らすことができる。次第に、お互い子供の話だけを意識してするようになった。細かいことは置いておこう。今は子供の話だけをしよう。そんなことを繰り返すうち、私は嫌なことに気がついた。非常に認めがたいことだが、実は私、この人のこと嫌いではないのではないか。下手するとまだ好きなんじゃないか。ヒエー!

 長い間、ドブで溺れて死んじまえと思ってきたのである。お互いが一歩も引かず、反目しあう毎日だったのだ。理屈っぽい私は自分の言い分に絶対の自信があったので、100%彼を論破してやると燃えていたし、彼は彼でヤクザのような声で私を罵り、頑なに考えを曲げなかった。会話は全て喧嘩になり、会えば昨日の喧嘩の続き。周りが加わってからは、完全に退路も断たれて戦争一直線。お互いの欠点を探して、反芻して、攻撃する日々。根が真面目な私達は、相手を嫌いになる努力を惜しまなかった。だから、この気づきはかなりショックだったのだ。だって、今までの努力が水の泡じゃん!あんなに頑張って憎んできたのに!でも、そこで出てくるのが「じゃあ一体何のために相手を嫌いになりたいのか」という疑問である。この喧嘩は何のため?気持ちをスッキリさせるため?色々裏切られたことへの復讐?自分の正しさの証明?アンタ一体何がしたいの?

 恐らく単に喧嘩に勝ちたかっただけだと思う。「僕が間違っていました。ごめんなさい」彼にそう言わせたかっただけのような気がする。そこに固執し過ぎて、問題をこじらせたのだ。本当の目的は喧嘩の先にあるのに、ゴールに到達するにはまず「喧嘩に勝つ」という関所を通らなければいけないと思い込んでいた。他のルートに気がつかず、一つの道しか目に入らなかった。そのくせ、私達は引き返さなかった。嫌なら会わなきゃいいのに、未練がましく喧嘩し続けた情けない自分を認める時期が来ていたのかもしれない。彼もそのことに気がついたのだろう。いや、気づかされたのだ。

 憎む以外の努力目標を見つけた夫は、徐々に生気を取り戻した。自分にできる作業を新しく見つけるたびに目が輝いた。オムツを替えたり、お風呂に入れたり、ミルクをあげたり、頼んだことは全て嬉々としてやった。まるで溜めこんでいた愛情のダムが決壊したようだった。そして驚くべきことに、赤ん坊はそれを余すことなく受け入れた。夫が溜めに溜めた大量の愛情、蓄積して煮詰まった濃厚なそれを息子は平然と飲み込んだ。まるで当たり前だと言わんばかりに。愛は惜しみなく奪われ、私達は救われた。それはそれは、あっけなく。

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熊倉 圭
熊倉 圭

くまくら・けい/ 1973年生まれ。ライター。東京都出身、東京都在住。某外資系企業の人事総務部に所属しながら、こっそり執筆中。好きな作家は新田次郎。好きな監督はファレリー兄弟。「とりあえず」が口癖。胃腸が強い。

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