2012-11-28
産の前・その壱
妊娠中は情緒こそ不安定になったものの、つわりもなく、体調面で大変なことはなかった。強いて言えば、なぜか無性に心惹かれたジャンクフードを我慢するのが辛かったくらいか。あまり不自由した記憶はない。胎児の性格は産まれても変わらないと言うが、実際出る前も出た後も寝てばかりの子供だった。お腹を蹴るとか、腕を伸ばすといった活発な動きはほとんどなく、検診に出向いてもグータラ寝ていて、たまに動いたかと思ったら、寝返りしながらおしっこをする有様だった。(超音波で胎児の放尿を見た時は心底びっくりした)
検診では、毎回超音波画像を渡されるのだが、私はこれが嫌で仕方なかった。無事かどうかは聞けばわかるし、わざわざプリントして渡す意味がわからない。家族や友人に見せろということなのかもしれないが、見せられても返答に困るような代物なのだ。誤解を恐れず言えば、「始末に困る」のである。エイリアンみたいな物体より、産まれた後の方が可愛いに決まってるし、取っておいたところで後々絶対見ない自信があった。何より、1回六千円近い検診代に、このショボい写真代が含まれている事実に納得できなかったので、ある日勇気を出して「あのー、私コレいらないんで、もっと安くなりませんかね?」と聞いてみた。すると、対応した看護師は汚物を見るような目で私を一瞥し、黙って保存用のミニアルバムを差し出した。なんだよ。頭にきたので、帰り際駅に捨ててやった。アホらし。
そんなこんなで、私の妊婦生活は、精神面以外は案外順調だった。一度切迫早産になりかけたこともあったが、じっと寝ていたら治った。物分かりのいい子供である。しかし、ここで居ついてしまったのか、予定日が近づいても全く産まれる気配がない。仕方がないので、私はせっせと歩いた。「歩行のリズムが腸の蠕動運動に刺激を与え、便秘が解消する」みたいな話で、歩けば陣痛が始まると思いこんでいたのだ。それに、正直妊婦な自分に飽きていた。腹は重いし、動きは不自由だし、食べ物も制約が多いし、転んじゃいけないし…とかく妊婦は気を使う。徐々に出産の恐怖より面倒臭さが勝つようになり、予定日を過ぎた頃にはヤケクソになって、猛スピードで庭を競歩したりしていた。犬が心配して、ワンワン吠えたのが面白かったな。ははは。
だから、腹部に違和感があった時は本当に嬉しかった。待ってましたとばかりに病院に飛んでいき、パンツを脱ぎながらドアを開ける勢いだったが、医者の態度は悲しくなるほど素っ気なかった。「1センチね…出直す?ま、今夜寒いし、いてもいいけど…」1センチというのは、子宮口が1センチ開いているということだが、それがどういう段階なのかよくわからず、また家に戻るのもウンザリだったので、とりあえず残ることにした。そして、看護師の案内で準備室なる場所に滑り込んだのである。
私が出産したのは、検診をしていた病院とは別の、実家近くの個人産院だった。東京都下にあり、「朝食に焼きたてのクロワッサンが出る」のがウリらしい。準備室というところは、分娩室の隣にある小さな部屋で、要はまだ分娩台に上がらせてもらえない妊婦の待機部屋である。私はてっきり陣痛が始まったら個室があてがわれると思っていたので、その暗い簡素な部屋にポツンと取り残された時、ちょっと凹んだ。しかも陣痛、ちっとも進まない。結局、深夜顔を出した夫とうつらうつらしていたら、朝になってしまった。産まれる気配、ゼロ。分娩台は2つしかないので、とりあえず上って踏ん張るというわけにもいかず、ただ陣痛の無駄打ちに耐えるしかなかった。
産婦人科不足は都下でも深刻で、特に私の入院時は近所にあった老舗産院の院長が過労でぶっ倒れたとかで、そっちの妊婦まで押し寄せていたから大変だった。神奈川や山梨からも産みに来る人が後を絶たず、結果地上3階、地下1階のビルは妊婦で溢れかえっていた。そんな状態だから、診察は二人の産婦人科医がフル回転しても間に合わない。医師は問診と並行して、特殊な機械(ポシェットみたいに妊婦が携帯する)から送信される各妊婦の陣痛の波をチェック。「そろそろだな」となると分娩室に走って行って、赤子を取り上げるという凄まじさだった。妊婦は妊婦で一刻も早く出したいもんだから、あっちでギャー、こっちでヒーと頑張っており、よって私のような陣痛促進ヘタレ組はヒジョーにジャマなのである。仕方がないから気力と根性で院内を練り歩いてみたが、事態は全く進展しなかった。3日目の朝、朝食で出された焼き立てクロワッサンの味が、全然わからなかったのは言うまでもない…。
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