salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

The Odd Family

2013-06-4
ハラキリの果てに。

麻酔欠品問題発覚後に私が何をしていたかというと、言うまでもなく全裸白ソックス姿のまま、手術台の上でもがき苦しんでいたわけだが、手術室内はそんな私の存在を完全に無視しながら、終始和やかな会話(最近食べた美味しい焼き鳥の話など)で盛り上がっていた。とにかく副院長が麻酔を借りてくるまではどうすることもできないらしく、「モモは塩でいいけど、皮とレバーはタレで食べたい」みたいな話を延々聞かされた。いい感じで吐きそうになってきた頃、副院長&麻酔到着。一気に室内に緊張が走る…かと思いきや、相変わらず空気はゆるかった。何でも、借りてきた麻酔が今まで使った事のないものだったようで、部屋の隅でごにょごにょモメているのだ。しかし、もう時間もないしということで、私には何のことわりもなく(しかし経緯だけは筒抜けで)、あっさり使用が決定。全裸の私を取り囲み、おもむろにレクチャーが始まった。「基本的に使い方は同じだからさ。どれ、そろそろかな。熊倉さ~ん、どうですか~?感じない?これは?わからない?へ~効きが早いなあ。やっぱコレいいわ~。よし、今度からこっちにしよう!マユズミさん、コレ注文しといて!」何なんだ、この病院…。絶望的な気分の中、ついに手術が始まった。

副院長が感動するだけあって、借りてきた麻酔は恐ろしく効果があった。部分麻酔は切っている感じがわかるという人もいるようだが、私にはほとんどわからなかった。そして、あっという間に子供が取り上げられた。今までの3日間はなんだったんだというくらい、あっさり。ホニャア~という声が聞こえた瞬間、自然と「指を数えてください」という言葉がついて出た。そんなこと、全然考えていなかったのに。そして「大丈夫ですよ、20本可愛い指があります。元気な男の子です」との回答を聞いた時、ようやく「第一関門突破」と一息ついたのを記憶している。余談だが、その時、看護師さんが「ほら、ママよ~」と貼り付け状態の私の頬に赤子の顔をくっつけた。その肌は、赤黒い見た目に反して、ひんやりと冷たかったのである。「生まれたての赤ん坊は冷たい」あまりどこにも書いている人がいないので、どうでもいいことかもしれないが、お知らせしておく。


ぼんやり感動に浸っていたら、「ご主人を呼びますか?」と聞かれた。確かに入院時「立ち会い希望」としたが、こちとら帝王切開で、しかも縫合前のパックリ状態。さすがにそれは…と躊躇していたら、夫が入る位置からは見えないからと、返事も聞かずにとっとと呼びに行ってしまった。ドアが開くと、夫は号泣していた。「よかったね。よかったね」鼻を垂らしながら嗚咽する彼を見て、私は物凄い優越感を感じていた。本当に根性が悪いと思うが、心底「どうだ!」と思ったのである。それまでの人生で感じたことのない、絶対的な自己肯定感だった。「元気な子供を産んだから、私は偉い」シンプルだけど、鉄板である。

その後、縫合するため、再度麻酔がかけられた。手品のように、「1,2,3」と数えた瞬間、ストンと意識が飛んだ。次に起きた時、私は病室にいて、やはり夫は泣いていた。暗い部屋の中で、足のむくみを取るために装着されたエアプレッシャーの「シュコー、シュコー」という音だけが、ダースベイダーの呼吸のように規則的に鳴り響いていた。少し話がしたかったけど、酷く疲れていたので、何も言わずに目を閉じた。なぜかとても平和な気分だった。今まで悩んでいた多くの問題は、全て瑣末なことに思えた。「まあ、いいか」それだけ言って、もう一度寝た。何も怖くなかった。 



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熊倉 圭
熊倉 圭

くまくら・けい/ 1973年生まれ。ライター。東京都出身、東京都在住。某外資系企業の人事総務部に所属しながら、こっそり執筆中。好きな作家は新田次郎。好きな監督はファレリー兄弟。「とりあえず」が口癖。胃腸が強い。

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