salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

The Odd Family

2013-09-27
あっちもこっちも命がけ

「ついに産んだ…」麻酔から目覚めた私は、人生初の大仕事をやり遂げた自分にウットリしていた。しかし、なぜかその成果であるはずの赤ん坊が見当たらない。私は個室に入院していたのだが、彼は新生児室にいるのか、傍にいないのである。私も一応術後なので、しばらくは大人しく様子を見てみたものの、待てど暮らせど我が子は来ない。よく考えてみれば、私は麻酔で意識を失う間際に一瞬子供の顔を見ただけだ。あの後、何か事故があったのだろうか。段々不安になってきた。1時間後、しびれを切らした私は覚悟を決めた。「我が子に会いに行こう」傷を押さえて何とか起き上がり、点滴スタンドにしがみつく。脂汗をかきながら、手すりづたいに新生児室を目指してヨボヨボ歩き始めた。傷口が痛い!ていうか、お腹だけじゃない!身体中が痛い!産んでいる最中は夢中で気がつかなかったが、無理な体勢で3日間もいきんでいたため、全身が筋肉痛になっていたのだ。結局、20メートルもない距離を15分近くかけて移動し、なんとか新生児室に到着した。

そこには、素敵な光景が広がっていた。縦1メートル、横5メートル程の細長いベッドに、20名近い新生児がズラリ寝転んでいたのである。産まれたてでまだ寝返りの心配がないせいか、結構な密度で寝かされており、それが何とも愛らしい。こうして見ると、同じ日本人なのに、大きさはもとより肌の色、毛の生え方まで見事な個体差があった。独身時代は産まれたての赤ん坊なんて全部同じと思っていたが、やはり全然違うのである。その中に、ひときわ目立つ赤ん坊がいた。世の赤ん坊の概念を覆すフサフサの頭髪に加え、全身毛深いせいでなんとなく浅黒い。「里芋みたいなのがいる…」ふと見ると、その子の足の裏に、何か書かれている。「クマクラケイ様 男児」我が子だった。

その後、里芋はすぐに病室に連れてこられた。なんでも、看護師が連れてくるのを忘れていたらしく(!)、本来であれば朝から一緒に個室にいる予定だったとか。息子はレストランの配膳ワゴンのようなカート付きのベッドで、恭しく運ばれてきた。相変わらずぐうぐう寝ている。その姿を見て、私は重大なことに気がついた。はて、いわゆるお乳というのは、一体いつ出るのだろうか。産んでから気がつくとは我ながらどうかと思うが、本当にすっかり抜け落ちていたのだ。いや、正確に言うならば「吸わせりゃ出るだろう」くらいには思っていた。しかし、リアル赤ん坊(里芋)を前に、私は困惑していた。目の前の生き物に、自分の体から出てくる分泌物を食事として与えるという生々しい事実に、頭と感情がついていかないのである。でも、やらなければいけない。検診で部屋に来た医師に聞いたところ、生後すぐはビタミンK2シロップとやらを与えるため、授乳はその後だと言う。とりあえず、予習がわりに自分で胸をギュッと押してみたが、ウンともスンとも言わない。脳裏に浮かぶ「不良品」の文字。そして、なす術もないまま時は過ぎ、ついに授乳タイムとなってしまった。

もうこうなったらやるしかない。私は気合を入れてパジャマの前をはだけ、抱きかかえた息子におっかなびっくり胸を寄せた。すると、寝ぼけていたはずの息子が、まるで飢えた鯉のような俊敏さで、パクリと乳首に吸いついたのである。「!!!」驚くほどの力だった。はっきり言って、ものすごく痛い!強いて表現するならば、乳首の先に教科書が一杯詰まったランドセルをタコ糸でくくりつけ、それをおもむろに床に落とされたような…って、何だかわけのわからない説明だが、要するにちぎれるかと思うほど痛いのである。「無理無理無理!」私は衝動的に引き離そうと、里芋頭を手で押しのけた。しかしあちらも命がけ、ダイソン顔負けのサイクロン吸引で、搾り取るように吸いついてくる。こうなるともう頭を引っ張っても身体を引っ張っても、何をやっても離れない。鼻をつまめば苦しくなって口を開けるかと思ったが、先方の必死感が増した分、かえって吸引力が上がってしまった。結局15分近く格闘し、最終的には指をこじ入れてなんとか引き剥がすことに成功。お互い、汗だくだった。

「最初の授乳は痛い」なんて、どの育児書にも書いてなかった。そもそも私の母乳は出たのだろうか。まあ、出なかったと考えるのが筋であろう。じゃなきゃ、先方もここまで必死にならないはずだ。そう思ったら、なんだか急にしょんぼりしてしまった。大きさ以外にまた一つ、バストのコンプレックスが増えた。一難去ってまた一難。この段階の母親業はフィジカルな問題が多い分、心と身体の両方にこたえる。グッタリしながら傍らの里芋に目をやると、意外にも満足げに眠りこけていた。「働いて疲れたから寝る」なるほど。実に正しい。というわけで、早速真似して寝た。これでいいのだ。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

コメントはまだありません

まだコメントはありません。よろしければひとことどうぞ!

コメントする ※すべて必須項目です。投稿されたコメントは運営者の承認後に公開されます。


コメント


熊倉 圭
熊倉 圭

くまくら・けい/ 1973年生まれ。ライター。東京都出身、東京都在住。某外資系企業の人事総務部に所属しながら、こっそり執筆中。好きな作家は新田次郎。好きな監督はファレリー兄弟。「とりあえず」が口癖。胃腸が強い。

そのほかのコンテンツ