salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

The Odd Family

2013-03-26
ビバ、ハラキリ!

3日目の朝も、私はゾンビのように院内を練り歩いていた。
出産を終えた元・妊婦達は憐みの、検診に来ている現・妊婦達は恐怖に満ちたそれぞれの目で私を見つめた。付き添っていた夫も干し過ぎたタクアンのようになっており、二人ともまさに体力の限界だった。

結局、午前の検診で夫婦揃って担当医に泣きつき、「陣痛促進剤を投与し、夕方までに産まれなかったら帝王切開」ということで話がついた。私自身は完全に思考回路がショートしており、ただ無事に産みたい、楽になりたい一心だったので、渡された紙切れをよく読みもせず、その場でサインした。
(多分死んでも文句言わないとか、そんなものだと思う)

そして促進剤が投与されたわけだが、これが冗談みたいに効かない。
促進剤投与&地獄の院内ウォーキングのW処方でも息子は微動だにせず、ただ1分おきに腰骨が剥離するような痛みだけが虚しく続いた。
15時を過ぎた頃から手術室に行くことだけしか考えられなくなり、16時には5分おきに切ってくれと懇願していた。ささくれを剥くのも怖いこの私が、1秒でも早くハラキリしたいだなんて、やはり出産というのは異常事態なのだ。



帝王切開については、おっかないので全く予習しなかった。
だから、手術決行が決まり、看護士に「脱いでください」と言われた時は、意味が分からず固まってしまった。当然、こっちはいつでも産めるような出で立ち(前開きのロングパジャマ&ノーパン)なわけだ。

これじゃダメなの?いや、でもまあ手術だしな…手術着みたいなのに着替えるのか…と思ったら、そこに服はなかった。
全裸かよ! そして、彼女は全裸の私に向かって「隣ですからね、ハイハイ、足もと気をつけてね~」とか気軽な感じで誘導するのである。
私の頭の中には、テレビの手術シーンなどで出てくるストレッチャー的なものがあったのだが、都下の小さな個人産院にそんなものはなかった。というか、そもそも準備室の隣が手術室なので、確かに数歩の距離なのである。疲れとショックで3秒おきに白眼を剥きながら、私は全裸で自ら(!)ステップを上り、ヨッコラショと手術台に寝転んだ。

すると、当たり前のように両腕を押さえられ、十字に貼り付けにされたのである。ここまで来ると、かえって気持ちがいい。
そうよね…ここでのファーストプライオリティは赤ちゃんを無事取り上げることなのよ…私の羞恥心とか恐怖心とか、そんなのどうでもいいのよね…。疲労とショックと諦めで無抵抗になった私に、男のバレエダンサーが履くタイツのような妙チクリンなむくみ防止ソックスが装着された。
全裸でボテバラで脚だけニーハイソックス(しかも白) 、絶対鏡だけは見るまいと心に誓った。


しかし、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、準備にあたる看護師のお喋りがまたエグい。

「今日の担当、マユズミさんだって」
「え~、あの人ってミスが多いのよね」
「そうそう、この前もやったじゃない」
「やったやった!私、変わってもらおうかなあ」
「えー、ずるーい」

あのー、白目剥いてますけど、全部聞こえてます…。ていうか、頼むからマユズミさんはやめて!チェンジ!という願いもむなしく、手術着姿の副院長登場。
「じゃあ、始めるか。えーと、まず麻酔…って、あれ?ちょっと待ってくださいね…おーいマユズミさーん」

何!もう何かやったの!おい、マユズミ、何やったんだ!走り出す院長。ざわめく室内。
そこに一瞬「@@さんのところに借りに行く」という言葉が耳に入ってきた。
麻酔、まさかの在庫切れ…。
出産は異常事態だが、これは限度を超えていると、全裸白ソックスの妊婦は涙したのだった。

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熊倉 圭
熊倉 圭

くまくら・けい/ 1973年生まれ。ライター。東京都出身、東京都在住。某外資系企業の人事総務部に所属しながら、こっそり執筆中。好きな作家は新田次郎。好きな監督はファレリー兄弟。「とりあえず」が口癖。胃腸が強い。

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