salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

The Odd Family

2013-10-29
二人の始まり

地獄のような授乳にも徐々に慣れ、私は無事退院することになった。産まれるまで無駄に時間をかけたこともあり、病院には10日近くいた計算になる。入院中は沐浴指導や粉ミルクレッスン(粉ミルクメーカーの人が営業がてら指導にやってくる)、母乳が上手く出ない人のためのおっぱいマッサージ教室など、多彩なスケジュールが組まれていたため、毎日が充実していた。だから入院費を精算し、寒空の下に「じゃあね」と放り出された途端、私は心底うろたえた。これからはナースコールもなければ、頼りになる助産師さんもいない。加えて、この時点で私と夫は「産まれるまでの一時休戦」状態であったため、退院はすなわちシングルマザーとしてのスタートを意味していた。まだ吐く息も白い3月上旬、おくるみに巻かれた小さな赤ん坊を抱きながら、私は人気のないローカル駅で途方に暮れた。嫌がらせのように降り出したみぞれが憎らしかった。

とりあえず実家に戻ったものの、ワケあり出産の身、正直肩身は狭い。両親は最大限サポートしてくれたし、初孫に感激している様子も有難かったが、私には当時「この子育てを何としてもやり遂げてやる!」という執念に近い意地があり、上げ膳据え膳でオホホと寝ている気分にはなれなかったのだ。

そもそも、世の中にはいつまでも良好な親子関係を維持できる人と、そうでない人がいるように思う。そして私は確実に後者であり、恐らく両親も同種の人間であろう。私達親子は固い信頼関係にあると信じて疑わないが、直に触れあうことにはいささか抵抗があり、手放しでお互いを褒め称える習慣を持たない。要するに照れ屋で気難しく、へそ曲がりの天の邪鬼なのである。こういった面倒臭いタイプの大人が3人集まって、単純の象徴ともいえる赤ん坊の世話をするというのは結構大変なことだ。我々は今までずっと避けてきた、フィジカルかつポジティヴなコミュニケーションというものに向き合わざるを得なくなった。もう冗談めかした憎まれ口でお茶を濁すことはできない。恥ずかしくても声に出して、赤ん坊に対する愛情をアピールしなくてはならないのだ。そうすることで、私は母親としての心意気を、両親は全てを受け入れる覚悟を、それぞれ証明できるのである。私達はいかに赤ん坊が可愛いか、意識的に語り合った。キャアキャア言いながら抱っこをし、ワーワー騒ぎながらオムツを換えた。親も半分ヤケクソだったかもしれない。齢60を過ぎて慣れないことをやらされる上、娘ときたら人生メチャクチャだ。同情しないでもない。ただ、血は争えないというか蛙の子は蛙というか、詳細は伏せるが連中も結構破天荒な新婚時代を送っているのである。そのせいか、二人はかなり早い段階で「コレ(私のことです)はもうしょーがない」と潔く諦めモードに入った。つまり焦点を「落ちこぼれの娘」から「初孫」に切り替えたのである。私は人生で初めて、変わった親を与えてくれたことを神に感謝した。

必要に迫られて始まった我々のコミュニケーションガチンコ試合、もとい赤ん坊可愛がり競争であるが、ぶっちぎりの独走を見せたのは意外にも父だった。出産ギリギリまで無関心を装っていたにもかかわらず、子供が生まれるや否や態度はおろか人格まで豹変。実子である私や弟にも買わなかった巨大鯉のぼりや高級兜を買おうとしたり、孫の写メ欲しさに大嫌いな携帯メールを覚えたり、孫自慢のため苦手な接待に出席し、悪酔いして駅の階段から転げ落ちて死にかけるなど暴走ぶりは凄まじかった。これが世に言う孫バカかと感心しつつ、興味本位でその胸の内を聞いてみると、予想外の答えが返ってきた。「赤ん坊は癖になる。何の見返りも求めず、ひたすら献身的に世話をしていると、自分でも忘れていた純粋な優しさを思い出してくるんだ。俺だっていい人間なんだぞというか、優しい自分にウットリするんだな」孫ジャンキーのポイントが「俺だって優しい!」にあるとは目から鱗である。社会の荒波にもまれて40年、還暦男性のリアルかつ物悲しい一言であった。

こうして私は両親の協力のもと、心神喪失状態からあっけなく脱出した。そしてさっさと自宅に戻ることを決めた。結局、実家滞在は1週間だけ。自分でもあの落ち込みはなんだったんだと呆れる。両親はもっと家にいろとかナンとか言ってくれたが、彼らの顔には明らかに疲労の色が見てとれたし、私自身も親との慣れないコミュニケーションに疲れていた。所詮付け焼刃、我々みたいな人間にはやはり一定の距離が必要なのである。住み慣れた我が家に戻り、オムツだの肌着だのミルクだのといった大量の荷物を下ろし、子供を小さな布団に寝かせた時、私はとてもとてもほっとした。変な例えだが、祭りが終わったような気分だった。小玉スイカほどの小さな頭をゆっくり撫でていると、今まで感じたことのない安らぎに満たされた。色々あるかもしれないし、まあ間違いなく色々あるだろうけれども、愛はある!柄にもなく、超前向きな私。実家での訓練は無駄ではなかったようだ。

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熊倉 圭
熊倉 圭

くまくら・けい/ 1973年生まれ。ライター。東京都出身、東京都在住。某外資系企業の人事総務部に所属しながら、こっそり執筆中。好きな作家は新田次郎。好きな監督はファレリー兄弟。「とりあえず」が口癖。胃腸が強い。

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