salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

The Odd Family

2013-11-28
頭上に輝くハテナ

新生児を抱えていると、毎日がその世話だけで過ぎていく。 「おしめ、おっぱい、抱っこ」を3時間ごとに繰り返し、その合間合間に自分が寝たり(2時間位)、食事をしたり(3分位)、トイレに行ったり(30秒位)して、さらに隙を見て掃除洗濯、買い物等の家事をするのだ。おかげさまで、当時は時間の感覚が完全に狂っていた。特に最初の1カ月は酷くて、今が何月何日何曜日の何時何分なのか、朝なのか夜なのかすらわからなくなる瞬間が多々あった。洗濯物を畳みながらうっかり寝てしまい、起きたら真っ暗で、しかも考えていた日と3日もずれていて腰を抜かしたこともある。(3日も寝たのかとパニックになったが、単に曜日を勘違い&1時間寝落ちしただけだった…)あの頃は常に次の作業に追われていて、ひたすらその日のノルマをこなすのに必死だった気がする。赤ん坊はというと、10ヶ月も暗い中にプカプカしていたわけだから当然私以上に時間の感覚はなく、四六時中不安そうにフエフエ泣いていた。しかし2週間程度で泣き声は落ち着き、夜は昼より長めに寝たり、アブアブ声を発したり、両脚を持ち上げてV字でバランスをとるなど、まあわりと真面目に赤ちゃん家業に精を出していたように思う。ご立派ご立派。

この時期は肉体的にはハードであったが、精神的に辛いと感じることはほとんどなかった。人生で初めて経験する「替えが利かない」という充実した状況に酔っていたのかもしれない。自分が求められている、しかも強烈に。この事実は私を育児の虜にした。それまで大抵のことは「私じゃなくたっていいじゃん」とかわしてきたが、今回ばかりは勝手が違う。自分で起き上がることもできない小さな生き物が、この私を必要としている!正直相当盛り上がった。ただ、そんな私にも一つだけ苦しかったことがある。空腹と飲酒欲求である。

母乳育児はとにかく腹が減る。そして喉が渇く。食いしん坊かつ飲兵衛の私にとって、食事と飲酒の制限はかなりキツかった。しかもこういう時に限って、今までさほど興味がなかったジャンクフードや焼き肉、炭酸飲料やビールが無性に恋しくなるのだ。そこに追い打ちをかけるように、数少ない娯楽であるテレビから、神経を逆なでするようなグルメ情報が嫌というほど垂れ流される。飢えた私は恨みがましく画面を睨みながら、腹の虫とともに泣くしかなかった。飲酒はともかく、食事は何とでもなるだろうと思われるかもしれないが、さにあらず。なぜなら、新生児を抱えての外出は本当に大変だからだ。特に寒い時期はまだ子供に免疫がない分、細心の注意が必要になる。外食など夢のまた夢だ。それなら自宅でと何とか食材を手に入れても、自分で料理をする気力、体力、時間が絶望的にない。挙句の果てに、口に入れていいものが心理的に制限される。これはどういうことかというと、「自分の食べたものが母乳になる」と思うと、そうそう無責任に食べたいものを口に放り込めなくなるのだ。全く気にしない人もいるだろうし、実際大した問題じゃないのかもしれない。しかし私は高齢出産認定スレスレの初産だったため、あらゆることにビビっていた。夫がいないという崖っぷち感も手伝って、超がつくほどの守りに入っていたとも言える。身勝手な食生活が母乳に悪影響を及ぼすかもしれないと思うと、恐ろしくてピザを注文することすらできなかったのである。そして、たまたま読んだ育児本の「良い母乳には和食!油っぽいものはダメ!」の言葉を妄信し、山盛りの納豆ご飯と野菜の煮物を必死でかき込み、りんごをヤケ食いしていた。酎ハイと焼き肉、生クリームてんこ盛りのパフェを夢見て・・・。

と、ここまで死に物狂いに育児にのめり込んでおきながら、おかしなことに、私には「親になった」という強い実感が持てなかった。確かに必要とされる自分に酔っていた。子供は打てば素直に響くので、世話をしていてもやりがいがあった。ただ、あまりにも劇的に環境が変わっていくため、たまに頭が付いていかなくなるのである。3日も苦しんで死ぬ思いで産んだというのに、ふとした瞬間に「あれ?なんで横に赤ん坊が?」と固まってしまう。オムツ片手に呆然としたり、「いつ産んだんだっけ…」と記憶が遠のいたり、本当に一瞬なんだけれども、わけがわからなくなる自分が怖かった。

愛情がないわけではない。大切に思っているし、「アンタが死なないと赤ん坊死ぬよ」と言われたら、何の迷いもなく「じゃあ死にます」と答える自信は一応ある。でも何かヘン、どこかおかしい。一体、このふわふわした感じはどういうことだと。何というか、ある日いきなり志村けんみたいな爺様が「あたしゃ神様だよ~」と現れて、「隣の人と間違えちゃった!アンタじゃ母親無理!全部なかったことにして!」と言われてもすんなり納得してしまいそうというか、曲がり角から野呂圭介がプラカードを持って「出産ドッキリ!」と飛び出してきても、怒るどころか照れて頭を掻いちゃうかもしれないというか、店長と呼ばれるオッサンが「お疲れ!」とかナントカ言ってポンと肩を叩いて赤ん坊を取り上げたとしても、慌てることなく電車に乗って家に帰ってしまう気がするというか、とにもかくにも母親という自分の立場にリアリティを感じることが出来ない。自分勝手な人生で、誰かのために生きた経験がないせいだろうか。育児に必死になればなるほど、「これは現実なんだよね?」と不安になってしまう。おかしいな。もっと重厚な幸せが全てを包み込んで、母親として堂々と生きているはずなのに。母親の才能がないのかな。でももう産んじゃったよ!どうすんのよコレ!

そんな調子でどうにもこうにも頼りない自分に嫌気がさし、何かできることはないかと考えあぐねた結果、フィナンシャルプランナーなる人に電話して、生まれて初めて自分が死んだ時の金の話をしてみた。死亡保険や学資保険に加入することで、謎の焦燥感および罪悪感を払拭しようと試みる…ってまさに金で問題を解決しているわけだが、他に思いつかないし、かといって何もしないと不安だし!都会の変な核家族で偏った教育を受けたから、こんなことしか出来ないのだろうか。それとも人間の資質の問題か。いずれにせよ虚しい…。でも皆様ご安心を!この話は実は4年前。今ではすっかり迷走状態から脱却し、必要以上に親子の実感を伴って生きております!毎日嫌がる子供をベロベロに舐めまわし、「宇宙一可愛い私の子!」と絶叫しているのだから、アレは一体何だったのよと自分で自分の首を締めたい。ほんと、何だったのかしら。子育てって不思議…。

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熊倉 圭
熊倉 圭

くまくら・けい/ 1973年生まれ。ライター。東京都出身、東京都在住。某外資系企業の人事総務部に所属しながら、こっそり執筆中。好きな作家は新田次郎。好きな監督はファレリー兄弟。「とりあえず」が口癖。胃腸が強い。

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