salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

The Odd Family

2012-09-8
珍妙な家族のはじまり。

 いろいろあって、別居している。夫と仲が悪いわけではなく、一般的な結婚のあり方に反発があるわけでもないが、別々に暮している。別居の理由については、話す方も聞く方も面白くないから言わない。ただ、家族の定義が極端に異なる男女が、勢いで話を進め、上手くいかなくてコンニャロとかアンニャロとか組んず解れつしていたら、二人して思わぬ穴に落っこちてしまった。そんな感じ。

 別居というからには結婚しているわけで、なんで離婚しないかというと、子供がいるからである。より正確にいうなら、「子供ができて、お互いが完全な赤の他人になれなくなったことを自覚したら、細々したことがどうでも良くなった」辺りが適当か。私たちは子供を溺愛しており、子供と縁を切ることはまずできない。そうなると、必然的に子供を中心とした「父親」「母親」という関係性が、3人のうちの誰かが死ぬまで続くのである。それがわかった途端、私の中で籍の価値は面白いほど暴落した。(夫の方はよくわからないが、多分似たようなものだと思う)だから、ある意味離婚してもいいのである。ただ、今このやり方で夫婦でいることに問題がないので、続けている。それだけ。

 夫はほぼ毎日、私と子の暮らす家にやって来る。週に1~2回は子を保育園まで迎えに行き、世話や家事をしたりして、終電の頃に出ていく。たまに泊ることもあり、そういう日は普通に親子っぽく3人で過ごす。だから、別居婚というより通い婚なのかもしれない。もはやどうでもいいが。

 こういうスタイルに抵抗がなかったわけではない。むしろ妊娠中は激しく抵抗していた。自分やおなかの子が軽んじられているように感じたし、白黒つけられないドンヨリした毎日にヒジョーにイライラした。だから一度は別れた。公的な書類まで用意し、後はもう届けるまでよというところまで手続きを済ませた。白黒がついたかのように思われた。しかし子供が産まれ、本格的に母子二人の生活が始まると、事態は急転した。白だの黒だのグレーだの以前に、大きな現実が眼前に立ちはだかった。私の予想をはるかに超えて、「人手」が必要だったのである。

 子供は怖くなるほどよく眠る子で、ほとんど手がかからなかった。洗濯物は小さくてあっという間に乾くし、食事の用意はブラをぺろんと外して終わりである。もちろん、数時間おきに起こされるとか、わけの分からない理由で泣くとかあるものの、そこは相手も心得たもので、徐々にやるのである。生まれた直後は両手のひらに乗るほどのモバイルサイズで、抱っこも楽々ひと抱え。泣くと言ってもフエフエ言うだけで、うるさいというレベルではない。オムツだってパッとくっつけてポイと捨てれば終了で、そんなもん、こちとら毎月のモノで20年以上似たようなことをやっているのだから、苦でもなんでもない。赤ん坊はきちんとビギナー仕様で生まれ、少しずつ相手の負荷を増やしていく。だからそこに大した手間はないのである。

 しかし、それでも人手は必要だった。子供の泣き声は小さいけれど、理由が分からなくて怖いから、いちいち飛び起きた。子供の食事を用意する必要はなかったが、自分の食事は用意しなくてはならなかった。母乳のモトだと思うと三食宅配ピザというわけにもいかず、傷を押さえて(私は帝王切開だった)台所に立った。オムツの取り換えは簡単だが、使用済みオムツの処分は簡単ではなかった。エレベーターの無いマンションの3階に住んでいたので、荷物と赤ん坊を抱えての上り下りは予想を超えてきつかった。そして何より、私は猛烈に話し相手が欲しかった。海外旅行先で、一人で夕食をとっているような寂しさが常にあった。感動を分かち合う相手が欲しかったのである。

 赤ん坊との生活は毎日発見だらけで、驚きの連続だった。「へえー」とか「ほおー」と感心しながら、それを伝える相手がいない現実に、言いようもない孤独を感じた。世の中的には取るに足らないつまらないことでも、私にとって、これはとても特別なことなんだと心おきなく叫びたかった。そして、気がついた。私の他にもう一人、強烈な孤独に苛まれているだろう人間がいることを。あのアホは、こういういいことをほとんど知らないまま死ぬのだ。仮に他の女と子をもうけ、数々の喜びを知ったとしても、必ず並行して私達のことを思い出し、喜び以上の悲しみに襲われるに違いない。これは決して私の驕りではなく、血と汗と涙(要するに喧嘩)で得た大量のデータに裏付けされた、とてつもなく精度の高いプロファイリングであった。夫は優しかったのである。

 結局、私は夫に連絡した。電話をしたら、二つ返事で飛んできた。おっかなびっくり家に上がり、寝ている赤ん坊の傍らに立った。そして、じーっと見ていた。小さな部屋で、大きな男が、小さな小さな赤ん坊を、ただじーっと見ていた。その姿を眺めながら、私はなんとなく「まあいいや」と思った。何がいいのか、ちっとも良くはねえのだが、そのしょんぼりした光景に、正直ヤラれたのである。今気がついたが、暴落したのは籍の価値ではなく、私のしょーもない意地やプライドだったのかもしれない。なんてこった。

 斯くして、我々はおかしな結婚形態に突入し、うっかり4年も過ごしてしまった。しかも、案外面白おかしくやっているのだからどうしようもない。割り切った中年は暴走するという見本である。だらしのない大人二人に、子供や周囲は思うところが多々あるようではあるが、それはまた別のお話。

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熊倉 圭
熊倉 圭

くまくら・けい/ 1973年生まれ。ライター。東京都出身、東京都在住。某外資系企業の人事総務部に所属しながら、こっそり執筆中。好きな作家は新田次郎。好きな監督はファレリー兄弟。「とりあえず」が口癖。胃腸が強い。

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