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歌手 八代亜紀さんスペシャルインタビュー 第3回 悲しみの底で響く歌がある。

第3回 悲しみの底で響く歌がある。

編集部多川(以下多川) 震災後、多くの歌手やアーティストが被災地の人たちを励まし勇気づけるライブ活動を行ってましたが、正直、もし自分が被災者として体育館にいたとしたら、人生は素晴らしいとか夢や希望や愛がどうのみたいな、そういう明るく前向きで耳障りのいい歌は聴きたくないと思ってしまいました。
八代亜紀さん(以下八代) 私も何度か被災地に足を運び、家や家族を失った被災者の人々の前で歌わせてもらったんだけど、もうね、みんな心の奥の悲しさを必死に堪えているのがどうしようもなくわかるのね。普通のコンサートだと、私の歌に自分の人生や哀しみを重ねて、涙をこぼす観客の方が多いんだけど、それは人生色々あったけどいまここにいる自分を肯定できる幸せな涙なのよね。でも被災地で私が見た涙は、ほんとに辛くやりきれない涙。号泣の絵が浮かぶ涙。胸が張り裂けそうなほどせつない。だから「泣こう。大丈夫、泣こう」って、私も一緒に泣いたのよ。そしたら「あきちゃん今日はありがとう。頑張ってね、応援してるから」って逆に言われちゃうのがつらいよね。
八代亜紀
多川 震災後、多くの芸能人の方が様々な支援活動を行う中、八代さんが避難所に畳を寄贈されたということを知り、その細やかで深い思いやりに感銘を受けました。
八代 何度か被災地の避難所を訪ねたとき、固く冷たい板張りの体育館での生活を見て思ったの。「あ、畳」って。それぞれの家族が段ボールだけで仕切られていて、子どもたちが走ると音もするし、小さい子どもを持つおかあさんたちは他の人に気兼ねしなきゃならないし、板の間に長く座らされるとお年寄りはもちろん若い人でもつらい。だから、ここに畳があれば、少しは楽になれるんじゃないかと。義援金や歌を歌うこと、何でもいいんだけど私ができることって何だろうと考えたら「畳」だったの。
多川 でも、それって避難所の人たちも仕方がない、体育館はこんなもんだとあきらめているところですよね。
八代 自分がそこにいたら、やっぱり板の間は辛いし、畳の上で寝たいって思うじゃない? それで体育館に畳を敷くにはどうすればいいのかマネージャーに相談して、見積もりを出してもらったの。畳一枚いくらで、ざっと一万枚必要となると、何億になっちゃうんですよ。「何億かぁ、それは厳しいなぁ」とか、人間だから考えちゃうじゃない?
八代亜紀
多川 いやもう、それ以前に何千万の義援金を贈ってらっしゃるわけで、しかもひるむレベルが「億」ですから…。
八代 気持ちはあるんだけど、何億となるときついってあるでしょ。IT企業の社長とかなら出せるかもしれないけど、個人だからね。そしたら私の出身地の八代市の市長さんが来られて、「私たちも畳を送りたいと思います」っておっしゃったんです。八代はい草の日本一の生産地なんですよ。しかも、震災の数カ月前に取材に行ったのね。でも今は畳の需要は減少の一途で、ほとんどのお店が閉めてしまって、斜陽の翳りがありありと見て取れた。そんな経済的に窮迫している八代市に頼むことはできないと遠慮してたんだけど、思いは通じるのね。八代のみんなが奮起して、徹夜で一万枚編んでくれたのよ。市長さんから「つきましては、一緒に行ってもらえますか?」って。そりゃいくよ!って(笑)。もううれしくてありがたくて、八代のみんなと一緒に畳を抱えるようにトラックに積んで被災地に走ったわよ。

多川 い草の香り、畳の肌触り、人間らしい暮らしの匂いに、もう一度、ここからまたやり直す気持ちが沸いてくるのかもしれないですね。
八代 ねえ、あの畳の匂いは何とも言えない昭和の匂いよね。
多川 八代さんはずっとボランティア活動として、女子刑務所の慰問を続けてこられてますが、それはいつから始められたんですか?
八代 昭和48年からかな。最初は少年院の慰問から始まったんです。

多川 演歌歌手の方は、少年院や刑務所の慰問というのは割とされているんですか?
八代 どうなんでしょう。私が始めた頃はそんなに聞かなかったけれど…。
八代亜紀
多川 それは八代さんの発案というか、何か個人的な思いから?

八代 「なみだ恋」が大ヒットしたでしょ? わたしのレコードを買ってくれた人、聴いてくれた人、世の中の人たちに何かお礼をしたい、恩返したい気持ちがあったのね。
多川 えっ!? 一発目のヒットでもう恩返しとは、心の出来が違いますよね。わたしなら「よっしゃ、こっからや」とかまだまだ自分のことしか(苦笑)。
八代 だってさ、無名の22や23歳の小娘が歌ったレコードが100万枚以上も売れるなんて、すごいことでしょ。親戚でも友だちでもない知らない人たちがひとりひとり、1枚1枚レコードを買いに行くっていう行動、10円入れて有線をかけるという行動、その気持ちがありがたいと思った。だから、このありがとうの気持ちはお返しさせてもらわないとと思って、それで少年院の慰問を10年続けて、その後老人ホームや福祉施設、女子刑務所に行くようになったの。
多川 40年近くの慰問で、日本全国の女子刑務所を回られたんですよね。
八代 はい。すべて行きました。
多川 その、聴いている人たちの反応って、どうなんですか?
八代 あのね、今だと女性の犯罪者というと、お金欲しさの保険金殺人や自分の子どもを置き去りに虐待して殺したり、考えられないような悪い女性がいっぱいいるでしょ。でも、私が慰問を始めた頃、昭和40〜50年代の女性の80%は男に騙された女性たちだと聞きました。もちろん、ただ自分の欲や身勝手さだけで犯罪に走った悪い人もいたけれど、大抵は生活の貧しさ、苦しさからどうしようもなく罪を起こすしかなかった女性も多かった。追いつめられた女性が犯罪に走るという本質は変わってないのかもしれないけど、でも最近の傾向として同情の余地が感じられない犯罪が目立って増えている気がする。それはメディアが執拗に取り上げるせいもあるのかもしれないけど。

八代亜紀
多川 生活苦や貧しさからくる犯罪と言っても、昭和と今とでは「そこまで追いつめられたら自分もそうなるかもしれない」と想像できる、わからないでもない感情のいたたまれなさがどうも違うんですよね。
八代 ひとり、夫殺しの罪で服役していた女性がいたのね。その夫は酒乱でひどい暴力を振るうんだけど、子どもまで殴るようになって、それで子どもが殺されると思った瞬間、気づいたときには夫を刺し殺していた。で、その受刑者の女性が私の「舟唄」を聞いて、はらはら涙を流して言うの。この歌が流行っていた頃は、旦那の仕事も会社も上手くいっていて、酒を飲むことも暴力を振ることもなく幸せだったって。そういう話を聞くと、いくら人殺しの犯罪者だといっても、かわいそうにつらかったろうねって同情しちゃうのよね。
多川 でも、何かそういう人生の底で響くのが八代演歌なんですよね。
それは八代さんがクラブシンガー時代、水商売で働くお姉さんたちが「あきちゃんの歌を聞きたい女の人がこの世にはたくさんいる」といったその言葉に現れていると思います。八代さんのその声、歌そのものが、女の哀歌、ブルースなんですよ、きっと。

八代 ねえ、お姉さんたちにもよくそういわれたけど、自分の中にはそういう女の哀しみとかなかったりするのよね。でも好きなのよね、ドロドロしたものが(苦笑)。私個人としては、これでもかと極限まで忍んで忍んで待つ女の演歌が大好きなの。魂が泣き叫ぶような果てしなく寂しく悲しい演歌とか、そういうのが歌いたいんだけど、マネージャーやみんなは「???」みたいな(笑)
多川 ああ、わかります〜。果てしなく暗く恐ろしく冷たい極寒の海峡にカモメが一羽ひとりぽっちで哭いている、もしくは厳冬の吹雪の荒野を唇噛み締めひとり行く…とか。すいません、思いっきり「演歌の花道」のオープニング映像ですけど(笑)。
八代 そうなの。でもそういうのが好きなの。恋の唄でも、へんに理解し合った恋愛とか、別れてもあなたの幸せを祈るとか、忘れられないとか、そういうのも違う。遠くに行ってしまった彼は今何を思い生きているのか、彼もどこかで泣いているだろうなと思う心の「間」を歌いたいの。悲恋のブルースよね。
八代亜紀
多川 でも、日本を代表するシンガーで、名実ともに演歌の女王である八代さんなのに、1人の女性としてご結婚もされてパートナーもいて、バランスよく人生を歩んでいらっしゃるところがすごいですよね。人とは違う才能に恵まれたスターや歌手につきものの「知られざる孤独と影」が意外にも全くないというか、何というか…。
八代 人からよくそう言われるんだけど、バランスがいいなんて自分ではちっとも思わないけどね。でも私は、悲しい歌は歌いたいけど、人生ひとりぼっちは嫌いなの。ひとりぼっちは月1回でいいの。オフの日に好きなようにビデオみたり、お菓子たべたり、夜更かししたり。
多川 それは、孤独でも何でもない、リフレッシュですよね(苦笑)。
八代 そうだね(笑)。だからいつも楽しいんですよ。よくわからないけど、いつもそばにみんながいてくれるのが好きで、何より幸せに思えるの。
八代亜紀
撮影/岡崎健志
013 歌手 八代亜紀さん Interview
第1回 「八代亜紀」誕生のルーツ 2012年8月8日更新
第2回 歌の心を歌う、代弁者として。 2012年8月22日更新
第3回 悲しみの底で響く歌がある。 2012年9月5日更新

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5件のコメント

私も八代亜紀さんと同じ1950年5月3日生れです。
八代亜紀さんのお姿と心を拝見し感動いたしました。
人は一人しかし一人ではない最終に見えてくるもの感じるもの、
八代亜紀さんに是非歌ってほしい歌があります。「生きる」です。
是非、歌詞を読んでほしい、歌を歌ってほしい。

by 匿名 - 2013/01/08 4:16 PM

サイトをご覧いただき、また、コメントをありがとうございます。
お問い合わせいただきました内容につきまして、
恐れ入りますが、本サイトの一番上にあります「contact」より
再度ご連絡お願いいたします。
お手数ですがどうぞよろしくお願いします。

by admin - 2013/01/08 4:30 PM

八代亜紀さんの言葉に励まされました。私も歌うこと、聞くことが大好きデス。私は今29歳ですが、最近ボランティアで 刑務所や老人ホームや被災地などに私の歌をとどけたいという夢ができたのですが、どうしたらいいのかわかりません。色々 インターネットで探してはいてるのですが、でも、夢は諦めたくありません。自分自身弱い人間で、何もかも中途半端で終わってきたので、今回の夢は叶えたいです。八代亜紀さんのホームページを見て、励まされ、元気をもらいました。私も人の役に立てれるように、頑張っていきたいと思います。夢は叶えるために毎日を大切に過ごしていきたいと思います。長い文章になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。失礼します。

by ゆき - 2014/01/16 8:16 PM

私はいま現在の八代亜紀さんが大好きです♪♬♪八代亜紀さんのコンサートには本当に癒されます…八代亜紀さんの絵画にもその才能が現れていて
神に選ばれた方のように感じます…コンサートでは歌はもちろん最高に上手いし魅力的です♪♬♪カバー曲においては八代亜紀に勝る歌手はいないと言っても過言じゃないでしょう!ねぇ…!!コンサートにて楽しい会話の一言一言にユーモアと暖かい人間味が出ます…また笑い声も絶えず最後に気をつけてね…風邪ひかないよにね、ありがとう、と自然にでる言葉に愛情を感じているファンは多いでしょうねぇ…80才の八代亜紀の舟唄が聴けるように我らも頑張ります。八代亜紀様くれぐれもお身体を大切に♪♬♪*末永く応援してます。

by ちび丸 - 2015/08/06 9:49 AM

追伸・・・松山千春さんのコンサートで歌のうまい歌手男は俺女は八代亜紀と言ってました、男性は布施明さんや五木ひろしさんも抜群な歌唱力ですよね・・・でもやはり松山千春さん抜群に上手いから認めますがジャンヌの壁には誰も八代亜紀さんには勝てないでしょうねぇ‥八代亜紀のカバー曲には本当に誰も勝てない!特に男性歌手のカバー曲には魅了されます…。

by ちび丸 - 2015/08/06 10:07 AM

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歌手 八代亜紀さんスペシャルインタビュー 第3回 悲しみの底で響く歌がある。




やしろ・あき

熊本県八代市出身。1971年デビュー。73年に出世作「なみだ恋」を発売。その後、「愛の終着駅」「もう一度逢いたい」「舟唄」等、数々のヒットを記録し、1980年には「雨の慕情」で第22回日本レコード大賞・大賞 を受賞する。また、画家としてフランスの由緒ある「ル・サロン展」に5年連続入選を果たし、永久会員となる。2011年10月発売のシングル「デスティニーラブ 〜運命の人〜」にはデビュー40周年記念第二弾の好評曲「人生の贈りもの」をカップリング。2012年5月には銀幕スター小林旭氏と久しぶりの二人歌「クレオパトラの夢」をリリース。

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