編集部多川(以下多川) |
銀座のクラブでは、相当人気だったんですよね。
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八代亜紀さん(以下八代) |
よそのクラブのお姉さんたちが「あきちゃんの歌を毎日聴きたいから」って、自分のお店を辞めて、私が歌っているお店に移ってくるぐらい(笑)
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多川 |
ホステスのお姉さんたちの心の根っこにある寂しさ、悲しさ、郷愁をなでるような、何かこう魂にふれる声だったんでしょうね。
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八代 |
お姉さんたちはみんなそう言ってくれてましたね。でも、私自身はまだ18歳で若いし、そういう女の哀しみとか、男と女のこととか、歌ってはいるけれど意味はわからないのよ。でも、あきちゃんの歌には哀愁があるって言われると「そうかなぁ」と。 |
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多川 |
そんな八代さんみたいに若くて美人だったら、男性の誘惑も多かったんじゃないですか?
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八代 |
それが全然そういうこととは無縁。誘惑というか、食事に誘ってくれたり、目をかけてくれる男性はすごく多かったけど、私は何も意識していないからそれが誘惑なのかなんなのかわからないし。下心があろうがなかろうが、全部親切だと思っちゃう(笑)。だからまわりのお姉さんたちが「あきちゃんは、ダメよ」って、いつも防御してくれてたりして。
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多川 |
その屈託のなさというか邪気の無さは、何なんでしょうか。育ちなのか天性のものなのか、両方なのか(苦笑)。
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八代 |
ねぇ、何なのかしらねぇ(笑)。そう、私が小学2年生の頃に父が起業して、そのとき初めて自分の家を建てたんです。赤い屋根で庭のある可愛らしい一軒家で、家の側には小川があってお花が咲いていて。まわりはみんな農家だから、毎日子どもたちが見にきたりして、ちょっと羨望の的だったりしたわけよね。
そうやって両親がせいいっぱい頑張って、工夫して、愛情豊かな生活を与えてくれたことが、自分の自信になってるの。もちろん悪いことをした時は容赦なくひっぱたかれて、しつけには厳しい親だったけど、でも、どんなときでも自分は大切にされている、愛されていると思えるあたたかさに包まれて育ったから、どこかのんびりしてるというか、人を疑うとか、ないのよね。
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多川 |
う〜ん、それは演歌の女王・八代亜紀だからこそ許される純粋さというか無邪気さのような。「可愛がられて育った」といっても、ただ甘やかされたわけではないですよね。八代さんが歌手を目指して上京したときもお父様は一切援助もされずに、お前が決めたことなら好きにしろと、突き放すべき時は突き放した。何かそういう父親の毅然とした厳しさがあるからこそ、その愛された自信が変な特別意識や勘違いにならなかったような気がするんですよね。それこそ男親にちやほや可愛がられただけだと、「私は何をやっても可愛い、許される」みたいな夢見がちな癖が抜けず、しょうもない男に騙され、溺れて、身を持ち崩す危険も往々にしてあったりするわけですから(苦笑)。あと、「歌」という天賦の才に恵まれたことはもちろん、その才を活かし全うすべき自分の生きる道、信念がしっかり定まっている。いわば人生の焦点は完全に絞り込まれているわけですから、それ以外の俗世的なことには疎くても全然OKなんですよ。純真に疑うことなく生きて正解というスペシャルな星の下に生まれた方だと、わたしなどただただ不思議な感動を覚えるばかりで・・・(笑)
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八代 |
マネージャーや仲間からもよく「不思議」「天然」とかね、言われちゃうのよ(笑)。でも私は純粋に、前向きに人を疑わずに生きるのが当たり前だと思ってるの。母はどんなに困窮した暮らしの中でも、多めに肉じゃがを作って近所に分けておいでっていうような人だったし、父は父でホームレスのおじさんを「外は寒いだろう」と家に住まわせて、そのおじさんが何も言わず去って行っても文句言わない。「自分の帰りたいところに戻ったんだよ」ってね。
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多川 |
見返りを求めないんですね。自分がしたことは自分がしたかったことで、そこで裏切られても騙されても、それも自分がした結果がそうだっただけだと。
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八代 |
両親揃って人に対してつねにそういうスタンスだから、それでいいんだ、それが人生だと信じて疑わないの。
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多川 |
人を疑うことを知らない八代さんが、歌手として芸能界に入って、人の表と裏を知ったというような経験はありますか? |
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八代 |
自分が一生懸命いいことをしたとしても、そこで褒めてくれる人もいれば、妬む人もいる。応援してくれる人もいれば脚を引っ張る人もいるし、何をやっても賛否両論あるのが世の中だということを、10代の頃からずっと勉強させられてきたわね。でも、人って、妬まれるくらいじゃないとダメなのよね。
ひとから妬まれて、批判されてこそ、燃えるものがあるの。だから人から妬まれるってことは、ある意味、勝利なのよね。 |
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編集 |
ただ、それでも傷つきますよね。
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八代 |
ううん、傷つかないの(笑)。そこが生来の天真爛漫なのよ。だって、東京で一流の歌手として売れるまでは二度と熊本には帰らない決意で出て来たわけでしょ。そこには父と母が他人から後ろ指さされないよう、死んでもやり遂げないといけない覚悟があったの。出て来てすぐに、甘い心でレコードデビューの話に乗ってだまされたけど、銀座のクラブで歌えるようになった。それで私はもう満足だと思っていたけど、またレコードを出すことになって、もうこれでダメだからって、銀座にも戻れないと思った。つまり、もう後戻りは出来ない、前に進むしかない。だから迷いもなければ、人から何を言われようと妬まれようと、そこで傷ついたり揺らいだりするような、そんな余裕はないの。
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多川 |
演歌歌手は1、2曲ヒットがあれば大成功という世界で、八代さんのヒット曲の数はアイドル並み、驚異的ですよね。 |
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八代 |
おかげさまでたくさんのヒット曲に恵まれましたね。
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多川 |
私の世代では、八代亜紀といえば「舟唄」「雨の慕情」なんですが、そういう曲というのは作詞家さんから出て来たときに、そのときの自分の心情と自然にフィットしているような感じなんですか? |
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八代 |
自分がこういう歌を歌いたいとか、歌で自分自身を表現したいとか、そういうことは今まで一度も思ったことはないの。私は、表現者というより代弁者でありたい。自分の歌を聴いた人が、「これは私の歌だ」と、そう思ってもらえたら、そこに私が歌う意味があるような気がするの。 |
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多川 |
八代さんほどの歌手、歌を歌うべく生まれてきたようなスターの方が自分のことを代弁者といわれたことに心打たれます。 |
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八代 |
多くの人から「スター」と呼ばれるようになると、何か自分には人とは違う特別な才能や価値があると思っちゃうのよね。でもそれはよくない。それが勘違いなのよ。お客さんは八代亜紀の歌を聴きたいだけなの。だから私はステージの上では、その歌の心を伝える代弁者であって、私がスゴいわけでもなんでもないの。
歌う時は完全に八代亜紀。でも、トークのときは「あきちゃん」でいいと思う。世の中の人が見ている「八代亜紀」は「私」とは違うものだということは自覚しておかないとダメよね。
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多川 |
今、こういう歌を歌いたいというイメージはあったりしますか? |
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八代 |
自分の年齢やキャリアからすると、もう男と女がどうのこうの、惚れたはれたの恋心を切々と歌い上げるとか、そういうのはないかな。増してや震災もあったりすると、男と女に限らず、人間の哀しみ、孤独、寂しさ、愛、やさしさ、そういう根源的で普遍的なメッセージを出さないといけないと思うの。
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多川 |
そう、今の私たちが聴きたいのは、八代さんが歌う人間、人生の演歌ですよ。
愛するものを失った哀しみ、帰りたいけど帰れない辛さや切なさ、忘れようと思っても忘れられない未練、ちっぽけで愚かで情けない自分のやるせなさとか、そういう誰しもの心にある傷や痛みや弱さに沁み入る、ふるさとはなくても何かこう根っこにある郷愁を呼び起こすような、そういう歌が聴きたいです。つらいのは、泣いているのは自分だけじゃないと泣けてくるような。
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八代 |
そうなのよね。歌は世につれ、世は歌につれといわれるように、その時代、その時代を生きる人々の孤独や寂しさ、空虚さ、痛み、哀しみに触れる言葉、歌詞、情景がきっとあるはずなのよね。こうして演歌歌手として人の心を歌い続けてきた者として、どうにかそこを切り開かないといけないと思っています。
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多川 |
今ですよ、八代さん!待ってますよ私たち40代の女性たちは。「これって、私やわ〜」とむせび泣ける八代演歌を(笑)。
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八代 |
ねえ、そうなのよね。私は今の若い人の音楽はすごくかっこいいし、すごいとと思うの。ただ今のヒット曲というのは、世代ジャンルが細かく分かれていて、かっこいいし嫌いじゃないけど歌えないのよね。私たちの時代は、世の中が歌っていた時代だから。
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