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政治学者 原武史さん スペシャルインタビュー 第2回目

第2回 鉄道から見える、日本の歪み。

編集部多川(以下多川) 鉄道をこよなく愛する“鉄学者”としても有名な先生ですが、先生が鉄道に興味を持たれたのは小さい頃からですか?
原武史さん(以下原) もともと父親の影響ですね。幼稚園の頃からあちこち色んな電車に乗せられて、駅名とか覚えさせられて。だからいまだに、東海道本線、山陽本線、東北本線など、主要幹線の駅名はすべて言えますよ(笑)。駅名を知っていると、どこに行っても初めての感じがしないんです。外国でも迷わないですね。鉄道感覚が身に付いているので、モスクワの地下鉄とかワルシャワの路面電車とか楽しかったですね。
多川 先生の著書『「民都大阪」対「帝都」東京』に、鉄道を通して見えてくる東京と大阪の違いが書かれていてとても興味深かったです。でも、自分は大阪出身なのですが、東京は大阪より私鉄が多いように感じたんですが・・・。
大手私鉄でいえば、大阪は近鉄、南海、阪急、京阪、阪神の五つ、東京は東武、西武、小田急、京急、京成、京王、東急の七つ、東京メトロを加えれば八つですから、確かに東京のほうが多い。しかし、東京と大阪では路線図が全く違います。東京では、私鉄のターミナルはほとんどが山手線の駅に付属してつくられていて、山手線の内側までは本格的に入れませんでした。JRと私鉄が競争している区間もあまりなく、地域ごとのすみわけができています。一方、大阪では、私鉄のターミナルは大阪環状線の駅とは別個にあって、難波や淀屋橋のように、環状線の内側まで本格的に入ってきています。そして多くの区間で、JRと私鉄が激しい競争をしています。だからJRが止まっても人々の足にさほど影響がない。でも、東京はJRが止まったら決定的な影響が出ます。それなのに震災当日、JRはさっさと運行中止を決めて、駅やホームから人々を閉め出した。たとえ私鉄沿線に住んでいても、山手線や中央線を全く使わずにどこかに行くことは非常に困難です。東電と同じですよね。いくら東電がけしからんといっても東電の電気を使わずに生活することができないように、JR東日本がけしからんといったって、山手線や中央線を使わないで生活できるかっていうと、できない。
多川 元国営企業の体質なんでしょうか。自分たちの出方、やり方、経営方針がどうあろうと需要は失われない。多大な責任と誇りが、権力と奢りになる。
今回の大震災でも、JR東日本の企業体質があぶりだされたと思います。ゴールデンウイークに間に合うよう、新幹線の復旧を急いだ反面、半年以上経っても東北被災地の路線320km以上が不通のまま。阪神淡路大震災はもちろん、関東大震災のときも、太平洋戦争のときも、半年経っても鉄道が320km以上不通のままなんてことはなかった。
多川 なんでしょう、企業側も国民側も異常に「安全・安心」にうるさい世の中になったから?
「安全」といえば、無理に電車を動かさなくてもみんな納得するような空気がある。昔は電化区間も少なかったので、線路さえ敷けば何とか復旧できたし、「何より列車を走らせるほうが大事だ」と、乗せる方も乗る方もいい加減というか、太っ腹の覚悟があったよね。
関東大震災のとき、国有鉄道は2カ月もたたずにほぼ復旧した。東京大空襲のときも、その日のうちに部分的に走り出しています。広島に原爆が投下されても3日後に市電が走り出している。日本の鉄道魂は見上げたものなんです。
多川 この状況で鉄道を走らせて万一何か事故が起きたらどうなるというより、ここで鉄道を止めたらすべてが止まる、終わりだ、みたいな鬼気迫る危機感の方が圧倒的に強かったのかも。
大正昭和初期なんて、車が行き渡っていないでしょ。それこそ飛行機も一般的でなかったから、国の大動脈はすべて鉄道。だから鉄道が止まるとお終いだという誇りと気概があったんだろうと思います。
多川 そうした鉄道への思いから、先生は今回の大震災で津波にのまれ不通になった三陸鉄道の全面復旧支援にも携わっていらっしゃるとか。
9月にも行ってきました。震災後、三陸鉄道はいち早く一部区間を開通させ無料で列車を走らせました。鉄道は地域住民の命綱だという誇りと責任があるからこそ、三陸鉄道は国や政府の支援を待たず自分たちの力で必死の復旧に努めた。
経済重視で新幹線の復旧を優先したJR東日本とは実に対照的です。詳しくは、十月に刊行した「震災と鉄道」(朝日新書)という本に書きました。
多川 三陸鉄道の復旧に懸ける姿をニュースで見て、つくづく思いました。都会はJRや私鉄、地下鉄と様々な交通の選択肢があります。でも地方は路線が限られているので、それが不通になることの重みが、都会とは違うんじゃないかと。
いや、必ずしもそうとは限りません。地方のほうが自家用車で移動する率が高いぶん、鉄道がなくても不便にはならないと思っている人がいることもまた事実です。でも震災のときの帰宅難民もそうだし、台風が近づいたときも、東京だって鉄道がストップすると都市機能のマヒ状態。大パニックに陥ったでしょ。地方の場合、国鉄時代の廃止対象路線を第三セクターが継承した三陸鉄道のような事例がある一方で、廃線に追い込まれた線も少なくありません。でも、鉄道が失われることで地方が衰退して行く速度は非常に早いんです。三陸鉄道の望月正彦社長は、「鉄道がなくなった町が繁栄を取り戻した例は一つもない」と明言しています。
多川 鉄道が通ることで人が住み、街になり、経済が回っていくのと逆の流れになる。
そう、鉄道がない土地には、車があって運転できる人間しか住めない。子ども、高齢者、学生は自ずと住みにくい。高校生が学校にも行けない、お年寄りは病院にも行けない。ということは、家族世帯では住めないから他の土地に移るしかない。住む人、住める世代が限られた土地というのは衰退する。
とくに三陸は山が海に迫っているような地形なので、すべての人々をまかなう交通といえば必然、鉄道になる。三陸鉄道が開通したことで、それまで陸の孤島だった田野畑村は、久慈にも宮古にも一時間弱で出られるようになり、高校進学率が飛躍的に上がったのです。
多川 それでも地方の多くの路線が廃線になっているのが現状。でも、東北の人たちは自分たちで線路をつないで運行維持しているんですよね。
東北は、そうですね。ただ、他の地域に比べると廃止路線は少ない。北海道なんか1500km以上廃止されていて、その結果、札幌に人口が集中してしまった。北海道の全人口の三分の一が札幌という極端にアンバランスな人口配置になっている。つまり鉄道が廃止されたら、人が住めなくなるんです。
多川 鉄道は公共交通の要であることはもちろん、先生が鉄道をなくてはならないものだと考える理由は?
車は、いわば個人主義の乗り物。なぜなら他人とは会わないし話もしない。乗せる人間は、身内か知り合いだけ。でも鉄道は見ず知らずの、色んな他人が乗り合わせる。今回、三陸鉄道の視察にゼミの学生を連れて行ったんだけど、列車に東京から来た若者が大勢乗っているだけで、乗客の方たちみんなどこか嬉しそうにニコニコして、話しかけてくるわけです。「どこからきた?」とか、ね。
そのうち自分の身の上話を始めたりして、車内のあちらこちらで、たまたま乗り合わせた東京の学生と地元の人たちが会話を交わす。その光景こそが、鉄道なんです。鉄道は公共財であるとともに、車内そのものが公共的空間なんですよ。個人主義じゃない。だからこそ、鉄道はなくしてはならないと強く思いますね。
多川 自分の外、社会とつながる場所なんですね、鉄道は。
そう。鉄道をなくしてしまうと、そういう場がなくなる。車窓から眺め見る景色、乗り合わせた人々の姿やふとしたときに交わす会話。そういう時間、空間が人生には必要なんです。個々に抱えている心情や悲しみみたいなものを発散する場所が。
(Information)
2011年度 明治学院大学 公開講座
「歴史と現在」 
開催時間:16:45〜18:15(開場16:35)
会場:明治学院大学横浜キャンパス
受講料:各回100円
※事前申込み不要。

第5回 11月11日(金) 八代 亜紀(歌手、画家)+原 武史(演歌と夜汽車)
第6回 11月15日(火) 宮部 みゆき(作家)+原 武史(文学と東京)
第7回 11月22日(火) 佐藤 卓己(歴史学者、京都大学准教授)+伊藤 秀爾(明治学院大学卒業生、東京大学大学院生)(メディア史)
第8回 11月29日(火) 山内 昌之(歴史学者、東京大学教授)+大川 玲子(イスラーム思想研究者、明治学院大学准教授) (イスラーム)
第9回 12月6日(火) 中沢 新一(思想家、人類学者、明治大学特任教授)+高橋 源一郎(作家、文芸評論家、明治学院大学教授) (文明の転換)
第10回 12月13日(火) 平野 勝之(映画監督)+高橋 源一郎(ドキュメンタリー)

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撮影/岡崎健志
010 政治学者 原 武史さん Interview
第1回 失われた歴史の中の天皇論。 2011年10月24日更新
第2回 鉄道から見える、日本の歪み。 2011年11月7日更新
第3回 1974—2011 団地の過去・現在 2011年11月21日更新

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政治学者 原武史さん スペシャルインタビュー 第2回目




はら・たけし
1962(昭和37)年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。国立国会図書館、日本経済新聞社に入社。昭和天皇の最晩年を取材する。東京大学大学院博士課程中退。現在、明治学院大学教授、専攻は日本政治思想史。著書に『昭和天皇』(司馬遼太郎賞受賞)、『滝山コミューン一九七四』(講談社ノンフィクション賞受賞)、『「民都」大阪対「帝都」東京』(サントリー学芸賞受賞)、『大正天皇』(毎日出版文化賞受賞)など。

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