2018-09-25
おっちゃんと銭湯
「すんません。ここら辺に銭湯ありまへんか。」
仕事帰りの夕方、自宅へ続く一本道を歩いていると年配の男性に声をかけられた。その方 を何て呼ぼうか考えたけれど、おじさまも、お父さんも、おいちゃんも当てはまらないので、少しだけ親しみを込めて「おっちゃん」と呼ぶことにした。今は大阪に住んでいると教えてくれたおっちゃんは、45年前、東京の阿佐ヶ谷という町に住んでいて出張で近くまで来たので懐かしくなり、昔よく行った銭湯を探しているとのこと。五日市街道を渡り、確かこっちの方向だったと歩いてみたものの記憶が定かではなく、困っているときに私が歩いてきたそうだ。
もしかすると私の家の近くにある銭湯のことかもしれない。良ければ一緒に行きますよと案内することにした。おっちゃんは、どうもどうもと言ったあと「銭湯の近くに、焼鳥屋さんがあってね。今もあるのかなぁ。」と懐かしそうに当時の話をしてくれた。
おっちゃんを案内しようとしている銭湯は、私の住んでいるアパートから歩いて2分ほどの奥まったところで目の前には小学校がある。引っ越してきたとき近所を散策していてたまたま見つけたのだ。いつか行って見ようと思っていたけれど行く機会が無いまま数年経っていた。
4年前、札幌から母が遊びに来た。部屋でくつろいでいるとき、母が大きなお風呂へ入りたいと言ったことでその銭湯を思い出した。
「近くに銭湯があるけど行って見る?でも、今日は開いているか分からないけど。」「今日は何曜日?」「火曜日。」「じゃあ開いてるよ。」「え?どうして分かるの?」「銭湯の休みは月曜日と決まってるから。」「えー?そうなの?でも東京の銭湯は休みが違うかもしれないよ。」「銭湯の休みは月曜日なんだって。」
開いていると断言する母に思わず笑った。まぁ、休みでもすぐ近くだしとお風呂の準備をして行ってみたところ「ゆ」と書かれたのれんがかかっていて、銭湯は開いていた。そしてなんと定休日は月曜日だった。本当だ!と驚く私に「だから、そうだって。」と母は当然という顔をした。
その銭湯は小さい頃、母の実家である小樽へ遊びにいくたびに従姉妹と行っていた銭湯によく似ていた。私の好きな昔ながらの洗い場で、赤と青の蛇口を交互に押しながらお湯とお水の加減を調整する。この微調整が難しいんだよね。あ、ヌルくなった!あ、しまった、熱くなりすぎた!
湯船へ入ろうと足をいれると、こんどは中のお湯が熱くてとてもじゃないけど入れない。何度も足をいれたり出したりしている私。「何やってるの、あんた。」「だって、熱くて。」先に湯船へ入っている母は熱くないのだろうか。
湯船についている水道の蛇口をひねりお水を入れ、少し混ぜてみるけれどあまり変わらず。仕方ないので少しずつ身体をいれていく。熱い。どう考えても熱い。
しばらくすると母が先に湯船からでた。母の背中を見て眼が釘付けになった。お湯に浸かっていた肌が真っ赤になっていて、どこまで浸かっていたか分かる境界線がくっきりついている。なんだあれは!やっぱり熱かったんじゃないかと面白かった。
いやしかし、私はただ母の背中を見て面白がっていたわけではない。銭湯へ行くと決まったときから「親孝行のチャンス」とばかりに母の背中を流すタイミングを見計らっていたのだ。そもそも背中を流すことが親孝行なのかは分からないけれど、どこかそう思っている節が私にはある。
湯船が熱すぎて一刻も早く上がりたいけれど、不自然な行動をとって母に「洗ってもらわなくて結構です。」とか言われかねない。せっかくの「親孝行チャンス」を断られたくないので、気持ち良いですね顔をして湯船に浸かりながら虎視眈々と母の背中を狙っていた。母が洗い場でタオルを手にとった。よし!今だ!極熱の湯船から上がり、さりげなさを装い「お背中、流しましょうか。」と右斜め後ろから声をかけた。母は「お背中の「お」はつけなくていいよ。」と言いながら、ボティソープをつけたタオルを「はい、お願いします。」と渡してくれた。隣の洗い場にいる年配の女性は、その会話が聞こえていたようで、私を見て「ふふっ」と笑った。そんな思い出のある銭湯。
昔の記憶を辿っているのか探しているのか、きょろきょろと周りを見回しながら歩いているおっちゃん。ふと、他にも銭湯があるのかもしれないと思い、ほぼ毎日買い物をしている八百屋さんで他に銭湯があるかを聞いてみた。八百屋の奥さんは、この辺に銭湯は無いですよと教えてくれた後「すぐそこにあった銭湯も数年前にやめて、今はマンションになってますし。」と言った。
「え?小学校の前にあった銭湯ですか?」
「そう。もう何年も前にマンションになったわよ。」
母と一緒に行った銭湯。そして多分、おっちゃんがきていた銭湯だ。驚いて2回確認をした。八百屋の奥さんは話を続けた。「このお店は30年前からやっているけれど、焼鳥屋さんもちょっと分からないわね。」おっちゃんの思い出がある焼鳥屋さんも知らないと首をふった。お礼を伝えて八百屋を出た後、今はマンションになっていると言われた銭湯へふたりで行ってみることにした。
「俺が住んでいた阿佐ヶ谷には近くに銭湯がなかったから、いつもここまで来てたんだ。焼鳥屋さんも、もう無くなったのかなぁ。」「私も母と来たんです。数年前だったのに。」 もはや、おっちゃんと私の思い出探しになってきた。
到着するまで、話題をかえて今年6月に大阪でおきた地震や西日本豪雨は大丈夫でしたかと聞いてみた。おっちゃんは、大阪の「太陽の塔」で有名な万博記念公園の近くに住んでいるそうで、庭にソーラーパネルが飛んできて、植木が折れたりベランダのガラスが割れてひどかったと教えてくれた。そうだったんですね。大変でしたね。気のきいた言葉を伝えることはできなかったけれど、話を聞かせてもらっているうちに銭湯があるはずの場所へ到着した。別の銭湯の話であってほしかったけれど、八百屋の奥さんが言ったとおり、目の前にはクリーム色をした綺麗なマンションが建っていて「ゆ」と書かれたのれんはもちろんのこと、銭湯の影も形もなくなっていた。
「ここに銭湯があったんです。あぁ、やっぱりマンションになってしまったみたいですね。無くなったこと私も知らなかったです。」少しでも銭湯の形跡は無いかと、ふたりできょろきょろと周りを見回したけれど、それらしきものは見当たらなかった。
おっちゃんは、そうかそうか、無くなったのかと呟いたあと少し大きな声で「よし。」と言った。つづけて東西の方向を指で指しながら「帰りは向こうが五日市街道、あっちが青梅街道。だよな?」「はい。」「よし、オレの土地勘ばっちり!」と私を見ながら笑顔でそう言った。けれど、私には少しだけ寂しそうな笑顔に見えた。
「お姉ちゃん、どうもどうも。有難うね。」「いいえ、お気をつけて。」
おっちゃんを見送ったあと、先ほどの八百屋さんへ立ち寄った。お礼を伝えると「昔からあるお家はお風呂のついて無い家も多いから、銭湯が無くなって困っている人もたくさんいるのよ。」と教えてくれた。そうなんですね。少しお話をして買物を済ませアパートへ向かった。
私のアパートの前には白い一軒家があり、可愛らしいおばあちゃまが住んでいる。晴れた日の夕方は杖をつきながらゆっくりと近くを散歩していることが多い。いつの頃からか挨拶をするようになっていて「お帰りなさい。今日もお仕事お疲れ様でした。」と優しく声をかけてくれるので会うとほっこりするのだ。なんだか今日は会いたかったけれど、会えなかった。残念。
アパートの下で郵便ポストを開けていると同じ階に住む女の子と会った。彼女とはいつも帰宅時間が同じくらいで顔を合わせる機会も多い。
「こんばんは。お帰りなさい。お仕事お疲れ様でした。」
「こんばんは。ただいま帰りました。」
ふと、こんな風に挨拶のできるご近所さんがいるっていいなと思った。そして前よりも自分が住んでいるこの地域に愛着が湧いていることに気がついた。
そう思えたのはきっと、おっちゃんのお陰だと思う。おっちゃんがもう一度訪ねてみたいと来てくれ思い出の場所に住んでいることが嬉しくもあり、近所には素敵な人たちが住んでいるんですよとなんだか誇らしい気持ちになった。
札幌にいる母へLINEをした。お母さーん。銭湯の休みって、何曜日だっけ?
返事がきた。「普通は月曜日だと思う。」
ふふっと笑えて、そしてなんだかほっとした。
おっちゃんの思い出の銭湯は、私の思い出の銭湯でもあった。
そしておっちゃんと私の記憶のなかではきっと
今も銭湯はそこにある。
今年の7月、西日本豪雨の復興支援のため、広島へ現地で使う車を運びました。高速道路を走り大阪を通った際、初めて見る「太陽の塔」を撮影。まさかこの写真を見るたび近くに住んでいると言っていたおっちゃんを思い出すことになるとは思いもしませんでした。
8件のコメント
とっても面白かった。すてきな空気に包まれた物語。また、読ませてくださいね。
思い出の場所が無くなることは寂しい事ですね
だけど新しい思い出ができたことは素敵だと思います
古い思い出を大切に新しい思い出を沢山作っていらっしゃる
筆者様は素敵です♪
ほんわかした、とってもいい気持ちになりました。
(ᵔᴥᵔ)
ENさん
いつも読んでくださり有難うございます。
是非、また読んで貰えると嬉しいです!
あきほの父ちゃん
古い思い出を大切に新しい思い出を作る。
素敵な言葉を有難うございます!
これからもそんな風に言葉が紡いでいきたいです。
グラスオニオンさん
空いてる時間に読んでもらい
ほんわかしてもらえることが
私のよろこびです。有難うございます!
いい湯に浸かった気分になりました。
ほっこり〜
Kayokiss
わぁ。有難う~。またいい湯に浸かったような文章を書けたらと思います
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