2018-08-5
ゆる山登山部~設立~
ある日、仕事をしているとドアから半分顔をだしてこちらを覗いている人がいた。彼の名前はナカノ君。10才年下の後輩だ。
初めてナカノ君を認識したのは彼が22才の時。オフィスの入っている高層ビルからスーツ姿の大人たちが帰宅するなか、一人だけパーカーを着た中学生の男の子が混ざっていると思った。それがナカノ君。ほぼ同時期に中途入社し、私は総務カウンター業務、彼は宅配便等を扱うメール室業務で、同じフロアで働いていた。二人とも声が大きくて元気ということから周りからも一緒にされる事が多かったし、ウマがあったのか職場の飲み会を企画する間柄だ。
浮かない顔のナカノ君に理由を聞いたところ、彼女に振られたそうだ。なんとも励ましようが無いけれど、肩を落としてるナカノ君を見放すことは出来ない。そういえばナカノ君は山登りが好きだったことを思いだし、その場で登山へ誘ってみた。好きなことをすれば失恋なんて忘れるだろう。私はなんて優しい先輩なのだろうか。
思った以上に効果抜群で彼はすぐに乗ってきた。「どこの山へ登りますか!」うっかりしていた。誘ったわりに私は職場の人に一度山へ連れて行って貰っただけで企画したことも無ければ東京都民なら誰もが知っている高尾山しか知らない。
「えっと、どこの山が良いか考えて貰ってもいい?あと、あまり山に登ったことがないから私でも登れる山がいいな」「え?」企画してくれるんじゃないんですか的な顔でこちらを見たが、すました顔をしている私を見てすべてを察知したようだった。
友人も参加することになり、ナカノ君が私たちの体力や経験をふまえ選んでくれたのは日本百名山のひとつで山梨県に位置する標高2057mの大菩薩嶺。登山初心者も楽しめるこの山はどうですかと聞かれ、もちろんいいねと答えた。だって名前がカッコいい。それからのナカノ君はイキイキして見えた。地図には蛍光ペンで当日通るルートが示され、ここに山小屋があるとか見晴らしが良い場所だとか教えてくれた。当日は方向音痴の私を新宿駅構内の分かりやすい場所まで迎えにきてくれることにもなった。私は新宿まで行けばあとはくっついて山へ登るだけで何も心配することが無いのだ。なんて出来た後輩なのだろう。
朝方まで大雨が降っていたけれど家を出る頃には晴天!新宿駅から電車を乗り継ぐと昔ながらのレトロな電車に乗った。山を知り尽くしてそうなレジェンドたちが大きなザックを持ち、昔やっていたNHKの「できるかな」のノッポさんみたいな帽子をかぶり童心に戻ったかのようにおやつをまわしながら食べたり笑ったりしていて本当に楽しそうだ。一瞬、自分もその中にいる錯覚をおこし思わず話しかけそうになる。都会から離れ緑が多くなり山々が連なっているのが見えてくると顔が穏やかになっていくのが自分でも分かった。北海道に住んでいた頃はどこにいても山が見えていたから落ち着くのかもしれない。
ナカノ君は完璧だった。みんなの様子を見ながら歩いてくれ、休憩には美味しいおやつのバームクーヘンまで分けてくれた。いいヤツだ。歩いて休んでおやつ、歩いて休んでおやつ。次はいつ休憩かとおやつが食べたくて登ってる感じになったけれど山で食べるおやつと山頂で食べるお弁当が大好きだ。
標高2057mの高さから見る景色は格別で雨上がりの空は誰かが吹き絵をしたかのように芸術的な雲がたくさん描かれていて綺麗だったし、美味しい空気を吸いながら汗を流せたのも健康的だ。体重も気持ち的に2キロは減った気がする。
山から降りる途中、無人販売の地元新鮮野菜を見つけてはひゃーひゃー騒ぎ、酷使した身体を温泉でほぐしたあとは冷えたビールを飲みながら今日の登山の振りかえりをした。帰りは新宿駅の改札まで送って貰い帰宅。ナカノ君の傷心登山だったこともすっかり忘れ大満足の登山になった。
数日後、彼女のことは吹っ切れたか確認したところ、傷はあまり癒えていないようだった。けれど登山心に火がついたようで、ナカノ君の傷を癒す名目でまた山へ登ることになった。これをきっかけにできたのが「ゆる山登山部」だ。
非常にゆるく仕上がっているこの登山部は、雨が降ると「山を越えずに川を越えよう」を合言葉に川越の小江戸と呼ばれている昔ながらの町を散策したり、鎌倉アルプスと呼ばれるハイキングコースを歩き鎌倉を散策。寺院を訪ね手を合わせた後、海に夕日が落ちるのを眺めて終了といった山の要素が米粒程しか無い時もある。ゆるいこと楽しいことをモットーにしている部なのだ。
ナカノ君はいつも皆をまとめてくれ、山があまり得意じゃない子がいれば川が流れている山を提案してくれたり、山道の先がどこにつながるか分からないと知れば忍者のごとく走って様子を見にいってくれた。帰りの電車ではナカノ君に寄りかかって寝ていることも数知れず。彼はいつしかこの登山部の「部長」になり、皆から親しみをこめて部長と呼ばれるようになった。
時々、ゆる山登山部にはゲストが来る。メンバーの友人で日本へ旅行に来ていたドイツ人のニーナが来日した時は、ニーナの誕生日が近かったので思い出に残るようにとサプライズとして山頂でウクレレを弾きながらハッピーバースディを歌うことを思いついた。
ちなみにウクレレは、以前ノリで買ったものでほとんど弾くことが無いまま部屋の飾りにしているものだ。もう一人のゆる山部員もウクレレを持っていたので、特訓だと盛り上がり秘密基地と呼んでいる野原へレジャーシートとお弁当を持ち練習へ向かった。けれどビールやワインを飲みながら野原に寝転んだりゴロゴロするのがあまりにも楽しすぎて最終的には温泉へ行って終了。ただのピクニックになってしまった。
ほぼぶっつけ本番だけど、当日はウクレレが二人いるからと安心していたら、こともあろうに一緒にウクレレを披露するはずの部員が欠席することが前日に分かった。
秘密基地の特訓も飲んでいただけだし一人ウクレレは無理でしょう。何を隠そう、ウクレレはその部員に頼りきろうというイヤラシイ気持ちでいたのだから。
ウクレレなど忘れたふりしてしまえと悪魔がささやく。そんなのダメよと天使が叫ぶ。今思えば、最初から弾けないのだから無理に弾かなくてもいいと思うのだけどその時は何故かウクレレは絶対になくてはならないと必死だった。悪魔と天使のせめぎあいの結果、私はザックにウクレレを忍ばせ山へ登ることにした。
当日、ザックからちょっと飛び出てるウクレレのヘッドが木や枝に引っかかる。登りにくそうにしている私を見てニーナは英語で「ザックから見えてるものは何?」と不思議そうに聞いてきた。ウクレレのことを秘密にしたい私は肩をすくめて「さぁね」という顔をした。さぁねじゃないよウクレレだよ。
たどり着いた頂上でお弁当を食べたけれど緊張をしてなんだか喉を通らない。
いよいよサプライズのハッピーバースデイの時間がやってきた。ウクレレの世界的ミュージシャンであるジェイク・シマブクロさまが降臨しますように。高木ぶーさんでも良いです。とにかくニーナが「オー、サエコチャン。ステキナエンソウニ カンドウシマシタ」と言うくらい上手に弾けますようにという願いとともに演奏をした。
大体想像がつくと思いますが、願いもむなしくどちらかと言えば「え?これは練習ですか?」という感じで演奏が終わった。練習みたいな本番だった。曲も終わったが私も何か終わった気がした。どうなんだ。この微妙な演奏をニーナは喜んでくれたのだろうか。そう思っていたところ、なんとニーナはウクレレうんぬんよりも私の必死に演奏する姿に感動してくれていたのだ。目的は違うけどなんだかヤッター!
だけど必死な形相で弾いていた私をお腹をかかえて笑っていたヤツがいる。そう、部長だ。そんな部長はニーナに「一生懸命弾いてるのに笑うなんて」と怒られていて私は密かに「よく言った、ニーナ!」とニヤニヤした。
そうしてゆる山登山部が活動して1年しないうちに、なんと部長はこの部を作るきっかけになった元カノと寄りを戻していた。その事実を知った部員からは次の登山で「ブチョー、チョット浮かれすぎじゃないの」と冷やかされていたが数年後、めでたく結婚、職場の転勤と続き福岡へ引っ越していった。
登山部結成から4年目を迎えた先日、仕事の都合で部長が東京へきたのでメンバーでご飯を食べたときのこと。前から薄々気がついていたが確信に変わったことがある。10歳年下のナカノ君を私は「部長」と呼び、部長は私を「サエコはさぁ~」と呼び捨てにしていたのだ。なんてことだ。ゆる山登山部ができるまでは「若林さん」だったのに。4年という年月をかけ上下関係が逆になっていた!失恋で浮かない顔をしてこちらを覗いていたあの彼はいまや一家の主、そしてゆる山登山部の部長として不動の地位を作り上げていたのだ。
私はと言えば毎月、低登山を楽しんでいる。最近は新宿駅構内のお店で売っている味つきゆで卵を山頂で食べることと、お昼のお弁当を食べて軽くなったザックに地元の新鮮野菜や梅干を買って帰ってきては登山の余韻を味わっている。
日頃のイヤな出来事も自然の中では小さなことだと思えるし、執着していたモノやコトは大抵必要の無いものだったと気づかせてくれる。複雑にしてしまった感情もシンプルで素直な気持ちへと戻すことができるのだ。そうやって心をリセットしてくれる山や自然が大好きだ。帰りは大抵、軽やかな気持ちで歌を歌いながら降りてくる。もしも、歌いながら山を下っている人たちを見かけたらもしかすると我らゆる山登山部かもしれません。
山を歩きながら気になるものをいつも携帯カメラで撮影している。写真は透明度が高く綺麗な川をいかに魅力的に撮れるか狙いを定める部長(左)と筆者(右)
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