2018-08-25
打ち上げ花火①
小さい頃から手紙を書くことが好きでした。小学生の頃は父の仕事で転勤が多く、学校を転校するたびに遠くへ住んでいるお友達と文通したり、大好きだった担任の板垣先生に手紙を書いたりする一方、木に登って桑の実をとったり、小学校のグラウンドにあるウンテイから降りれなくて大声で泣いていたり、やんちゃなところもありました。高校生になる頃、浮かんでくる詩を書くようになりましたが、周りから言われるのがイヤだったのはこの言葉。ポエム。ポエマー。ロマンチスト。日頃から男の子みたいと言われることの多い私は女の子らしく思われるのが恥ずかしくて、いつしか心に湧く言葉を日記にしたためるようになりました。
社会人になり夢中になったのは、浮かんできた詩とフリーの素材屋さんから写真を貰いホームページを作ること。綺麗な写真を選び、言葉を紡いでいるとあっという間に時間は過ぎていきました。気がつくと白々と夜が明け、あくびをしながら仕事へ向かうことも多く、両親に「いい加減にしなさい」と怒られてもなんのその。家族が寝静まった真夜中に息をひそめながらホームページ作りに没頭していたのです。
いつも身近にある自然が好きでした。空、海、雲、夕日。雨も好きです。ある日、もっと近くに雨音を聴いていたくて両腕を枕にして窓から頭を出したまま寝てしまい上半身ずぶ濡れになっていたことがあり、母に呆れられたことがあります。
雪が降ると周りの音が消えていきます。結晶が音を吸収するためと聞いたことがありますが静寂のなか、しんしんと降る雪が好きなのです。雪が積もると、スノーボードのウェアを着て外へ出ます。家の脇にできた固い雪山をつたい裏庭にある物置の屋根の上へ登り、降りつづく雪を飽きるまで眺めていました。
それほど自然に親しんでいたのだから、とびきりロマンチックな言葉や誰もが心洗われて泣き出すくらいの文章が浮かんでもおかしくないと思いますが、どちらかと言えば寒さに強く、身体も丈夫という逞しく生きる力を北海道の大自然に培って貰った気がします。
自称ロマンチストの私に転機が訪れました。東京で暮らすことになったのです。せっかく真新しいものがたくさんある東京へ行くのに、PCがあると部屋にこもるのが眼に見えていたこと、夜中までインターネットの世界に浸る私を見ていた両親へ心配をかけないようホームページは閉鎖し、PCは実家へ置いていくことに決めました。
東京ではPCどころかテレビも洗濯機も無い生活が始まりました。ネットの環境から離れテレビの無い生活は自分から求めなければ情報も少なく、見るもの聞くものが新鮮。例えば電車についているモニターからは広告やCMが流れていて、テレビを見ている気分で出勤が楽しくなりました。近所のイベントホールに漫才の方が来たときには、笑いに飢えていたのか誰よりも前のめりに観てお腹をかかえて笑ったり。時々、北海道にいた頃、心のままに書いていた詩や真夜中の大好きな時間を思い出しては胸がきゅんとなったけれど心の奥へしまいこんでいました。
2ヶ月ほど前、20年ぶりに北海道の友人と再会し、ご飯を食べました。ふと「そういえば、さえちゃん、昔ホームページ作ってたよね。そういう仕事に携わっているのかと思っていたよ」と言いました。自分が大切にしているものを覚えてくれていたことが嬉しかったと同時に、もし私がインターネットを通して「何かする」としたら何をしたいか。どんなものを作りたいかイメージしてみました。昔好きだったホームページ?うーん。確かに好きだけど、今の私にはピンとこない。これも違う、あれも違うと次々頭のなかで削除をし、ひとり脳内会議の結果がこちら。
「文章を書くこと。」
昔のように時間をかけ楽しみながら作り上げていくホームページではなく、今まで出会った人や復興支援でお世話になった人、そして今もなお、生活を建て直そう、新しい街を作っていこうと歩まれている現地のことなど、読んでくれる方々に思いが伝わる文章を書けるようになりたいという気持ちが明確になりました。
でも、どうやって情報を集めると良いのだろう。文章に関係する仕事って何て呼ぶんだっけ?ライターか。ライターさんなんて知り合いにいるわけ…いるわけ…ん?
いた!そうだ。ムラセさんがいるではないか。詳しくはわからないけれど確かライターという仕事をしている筈だ。そういえば「さりとて」というWebでコラムを書いている。あのコラム面白いんだよね。しかもミラクル。なんと明日予定している飲み会にムラセさんもくる!
ムラセさんは私より2つ年上のお兄さんで、2011年3月11日に起きた東日本大震災の復興支援を通じて出会い7年になる。
どうしたら読みやすい文章を書けるようになるのか。どこで勉強したのか。コラムはどのように書くのか、湧いてくる疑問を聞いてみよう。
翌日、先に到着した居酒屋でホッピーを飲んでいると、ムラセさんがやってきました。乾杯をした後、そういえばと切り出した私のクチからは自分でも思いもかけない言葉が出ていました。
「私、文章やコラムを書いてみたいんです」
思いが溢れた瞬間でした。
(つづく)
ある日の夕方、突然雨が降ってきて
雨宿りした時に筆者が撮影した写真。
昔のように窓から頭を出して眠ることは無いけれど
今も雨の日は窓を少し開けて雨音を聞きながら眠ります。
2件のコメント
優れた音楽の創造は、雨音や川のせせらぎや、打ち寄せる波音に近づける作業かもしれませんね。優れた詩は、人の足音、ポストに手紙が投函される音、あるいは、電車の中で聞こえるガタンゴトン、ガタンゴトン、コトンガタンと同じもの、聞き分けられないぐらいに一緒の心地よいものにする手続きかもしれません。夕刻散歩していると、中学校の体育館から聞こえる、シューズをきしませる若く輝き弾ける音もまた、いつかのやさしい物語を思い出させてくれます。さえこさんに同感です。(越)
越さん
コメント有難うございます。
母が台所で料理をするトントンという音や2階までただよう美味しい夕飯の匂い、父が新聞をめくる音や、祖母の部屋から聞こえてくる仏壇の鐘を鳴らす音。何気ないひとつひとつの音や匂いのその瞬間にタイムスリップした気持ちになり、愛しく思います。
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