salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

晴レルヤ!

2018-07-25
ワンツージャンプ

雨上がりの夕方、親友から今日は仕事?それとも東北?とLINEがきた。土曜日は訪問介護の仕事か2011年3月11日に起きた東日本大震災の復興支援をしていて南三陸や福島、岩手など東北へお手伝いに行っていることが多いので確認したのだろう。飲みの誘いに違いない。風が気持ち良いからと近所の公園で飲むことにした。親友とは地元が同じ札幌で高校からの付き合いである。私は上京して15年が経ち、親友は3年程前に上京し私が住むアパートの近くへ引っ越してきた。
親友の家へ到着するとふといたずら心に火がついて柱の陰に身を潜める。ドアを閉め、階段を降り足音がこちらに近づいてきたところで柱の陰からワッと驚かすと期待以上に驚いてくれる彼女はリアクション王だと思う。

親友はチーズやワイン、私は牡蠣のオイル煮を持ち寄り、公園の芝生にシートを敷きサンダルを脱ぎすてお疲れさまの乾杯をした。牡蠣のオイル煮を食べながらクダラナイ話でお腹を抱えて笑った後、私が上京した頃の話になり親友がふと「佐江子はなんとなく札幌へ帰ってこない気がしてたよ」と言った。私自身、上京すると思っていなかったのに親友がそう感じていたことに少し驚きながらワインに口をつけた。

高校で就職斡旋をして貰い札幌市内のボーリング業建設会社へ就職した私は、総務課へ配属された。毎日電卓を使っていたので今も電卓を持つとなんだか嬉しくて何度も同じ計算をしたりする。 ちなみに「電卓打つの速いね」など褒められると途端に打ち間違えるタイプである。
事務所にいると関東や東北で作業している現場の人たちから、日々の作業連絡がきて電話を取るとよく「わかちゃんの元気な声が聞けて嬉しいよ」と言ってくれた。皆の方が余程元気だったし年に一度の忘年会に作業服と長靴姿で駆けつけてくる気取らない皆が好きだった。

平和だと思っていた職場に不穏な空気が漂い始めた。給料が分割になったり支払いも少しずつ滞るようになり、そのうちいつも笑顔だった業者の方々が厳しい顔に変わっていった。和議申請という言葉が社内で聞こえはじめ、辞めていく人が増えリストラが始まった。私が整理解雇されたのが、勤続年数12年目になる少し前。実家暮らしをしていたこともあり失業手当が受給されてる期間はご褒美にゆっくり休み翌年からまた働くことにした。

無職も数ヶ月経った頃、無認可の保育園で子どもたちのお世話をしませんかと声がかかり、人生初の「先生」になった。私の得意分野は年上ですと思ったけれど、小さな子が「ワカバヤシセンセー」と呼んでくれるのがとてつもなく可愛くて、なんでも許せる気がした。けれども!ちびっこギャングたちは私の想像をはるかに超えたエネルギーのカタマリで、全力かつ自由に飛び回り保育園は毎日動物園のようだった。座ろうものなら途端に子どもたちが膝の上に座り、背中には子泣きじじいのようにいつも誰かが「おんぶぅ」と張りついていたことが一番の思い出となり、ワカバヤシセンセイの短い夏が終わった。

そして数日後、無職最後は4歳年上の姉家族が住む東京へ行き、都会を満喫しようとひらめいた。帰ってきたら札幌でまた働くのだ、そう思っていた。

快く迎えてくれた姉家族の家で期間限定の東京生活がはじまった。
天気のよい日は屋上で洗濯物を干しながら、なんか東京って感じ!と思ったり、電車を逃しても次の電車がすぐくることに驚いたり、雑貨屋さんが多くあるよと誘われ吉祥寺へ行くとあまりの人の多さに今日はなんのお祭り?と聞いたり、都会のカラスはネオンが明るいから夜もいるんだよと東京あるあるを教えて貰えば、それを札幌から遊びに来た友人へどや顔で教えたり。とにかくすべてが新鮮だった。

お風呂あがりの姪っ子は布団の上で哺乳瓶のミルクを飲み、甥っ子はお気に入りの絵本を読んでいる。眠りにつく前のその時間が好きだったし文字通り皆で川の字になって眠り、たまに寝相の悪い姪っ子や甥っ子に蹴られたり殴られたりもした。東京という大都会で川の字になって眠ることがなんだか不思議で、だけど妙に心地よくて。
姉は夜中によく目を覚ましては、ありえない体勢になって眠る子どもたちの身体を元へ戻して布団を掛けなおしたり、部屋の温度調整をしたり、私の布団までかけ直してくれ、そのたびに温かい気持ちになってまた眠りについた。
親類が近くにいないなか家事や育児にと奮闘している姉を見て、何かお手伝いができないかなという思いが湧いてきたと同時に目新しいものだらけの東京にほんの少しだけ興味が湧いた。

数週間経った頃、姉家族が札幌の実家へ帰省することになり、私も一度戻ることになった。母の友人サカイさんに「東京はどうだった?」と聞かれたので「少しだけ住んでみたいと思いました」と話した途端、サカイさんは眼をキラキラさせた。

「あらぁ、いいじゃなぁい。私が若かったらお金が無くてパン1枚にかじりついてでも東京にいたいわぁ。羨ましい。」

衝撃をうけた。まずこういう時は「さえちゃん、寂しくなるから行かないで」では無いのかと。次に東京とはパン1枚にかじりついてもいたくなる場所なのかと。そして60代になるサカイさんがこんなに眼をキラキラさせる東京とはそんなに夢のあるところなのかと、サカイさんとのその瞬間に心を揺さぶられた。

でも、サカイさんの言葉で決めてはいけない。そうだ、母ならきっと行かないでと言うはずだ。長年一緒に過ごしてきた可愛い娘を簡単に手放す筈がない。いい歳をしてバカなこと言うんじゃないと言われたらすぐに諦め顔してこう言うのだ。「そうだよね、この歳で東京に行って今からどうするのだよね。分かった行かないよ。」そうしてまた実家の2階でぬくぬく生活するのだ。そう、要するに私は誰かに引き止めてほしかったのだ。だから答えはすでに決まっていた。

翌日、意を決したような顔をしてほんの少し芽生えた東京への思いを母へ伝えた。
「お母さん、わたしね、東京に住んでみようと思うんだけ…」
「うん、行っておいで」
私の言葉が終わるか終わらないかのところで母はかぶせぎみに頷いた。
なんということでしょう、想定の範囲外です。まったく引き止めてくれないし!
そして最後の砦である筈の父までも、すぐOKをしたのだ。信じられない!晩酌の相手がいなくなってもいいのですか!ちょっとは引き止めてくれたっていいじゃないか。内心、私はぶーぶーだ。

誰もひき止めてくれないことに納得がいかないまま、今度は「上京」という形で、姉家族と東京へ旅立つことになった。家を出ると決めた割にどこか追い出された感満載の私が札幌から持ってきたのはダンボール2つ。何を持っていけば良いか分からなかったので、とりあえず写真立てに数年前亡くなった猫の写真を入れてきた。ちなみに母になついていて私にはまったくなついてくれなかった。

今度こそ本当の東京暮らしが始まった。
すぐに新しい仕事も決まり渋谷の職場へ通いはじめた。鏡張りのビル!上のフロアには芸能人が所属してる事務所があるんだって。すごーい。
お家が見つかるまでは姉家から通勤し、姉が毎日お弁当を作ってくれた。
おやつまでつけてくれてるなんて幸せすぎだと思いませんか。もちろん毎日完食ピカピカ賞だ。

ほどなくしてアパートが見つかり初の一人暮らしが始まった。
ダンボールを開くと猫の写真立てが一番上にあった。私になついてない安定の顔になんだか安心しながら荷物を出していったけれどテレビも洗濯機も無いからほとんど何も無い部屋の完成。
引っ越し祝いにビーフシチューを作ることにした。一人暮らしはオシャンティに決めこむのだ。材料を買いこんでさっそくお気に入りの曲を聴きながらお料理スタート!
そして気がついた。なんと我が家には包丁が無いではないか。しかし、包丁の代わりにイイモノがあった。じゃーん、パン切り包丁。私って頭イイ。こういうのは生活の知恵なんですよ、生活の知恵。

じゃがいもを切ってーお次は人参を切ってー。あ!!痛いっ。左の人差し指から血が流れはじめた。絆創膏を探してる間にも血が流れて止まらない。ちょっとこれはいつもと違う血の量ではなかろうか。
止まらない血に怖くなりタオルで指を押さえながら姉へ電話をした。「指を心臓より高くあげて家までおいで」の言葉どおり、左手にタオルを巻き腕を高くあげながら夜道を歩き姉家へ到着。結局、義兄に病院へ連れて行ってもらい3針縫うことに。
姉や義兄、お医者さんにもどうして切ったのか説明するうちにパン切り包丁で人参を切ろうとしていた自分が恥ずかしくなってきた。
次の日、母へ電話をして指を縫ったことを報告。パン切り包丁を使ったことはなるべく言いたくなかったけれど仕方がないからそこも伝えたところ「あんたって、はんかくさいね(まぬけだね)」と、おまぬけ称号をいただいた。
包丁がないからとパン切り包丁を使ってはいけないことをこれから一人暮らしする若人へ口をすっぱくして伝えたい。

こうして30歳で東京デビューと一人暮らしが始まったのだけど、姉の家族が近くにいたお陰で家族の温もりを感じながら過ごすことができた。甥姪のお遊戯会や参観日はほぼ網羅、3人目を妊娠した姉に代わり運動会の競技に参加したり綱引きに出たりして気持ちはほぼ父兄。あまりに近い存在だったのか小さかった甥っ子の「ノブくんはぁ、お父さんとお母さんとさえこちゃんから生まれたんだよね?」発言はわたしの名誉勲章だ。

実は無職になる1、2年前からふとした時に何とも言えない気持ちが湧いていた。生活に不満があるわけでもフシアワセでもない、むしろ人にも環境にも恵まれていて幸せだった。都度、この気持ちはどこから来るのだろうと考えるのだけど、その時はまったく分からなかった。思い返してみると、それは両親に守って貰い生きている自分は果たして社会に通用するのだろうかという不安だった。このままで良いのだろうかと思いながら、居心地のよい環境から飛び出す勇気がなかったのだ。
自分を試してみたい、道を切り開いてみたい。そんな思いがココロの奥に眠っていたようだ。
  
近くにいるだけで喜んでくれた姉家族がいて、まだ若いのだから何でもできるじゃないと眼を輝かせてくれたサカイさんがいて、そして両親揃って「行ってらっしゃい」と思いきり背中を押して送りだして貰い、私はワンツージャンプで新しい世界へ飛び出すことができた。この絶妙な流れとタイミングに心から感謝している。

「佐江子はなんとなく札幌へ帰ってこない気がしてた」という親友は私の奥にある気持ちに直感で気がついていたのかもしれない。「さすがだね」と言う前に雨上がりで蚊が大量発生していたようで話が中断され逃げ出すことにした。
そうだ。今度彼女に会ったら伝えよう。「まさか貴女が来るとは思ってなかったよ」と。
30年来の親友が今はこんな近くに住んでるなんて、やっぱり人生は面白い。
次回は彼女のワンツージャンプを聞く事にしよう。

小学校の運動会観戦する姉(左)と筆者(右) 。甥と姪の出番になると姉妹はデジカメとビデオカメラにわかれ必死に勇姿を撮影しつづけた

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

4件のコメント

文末の写真と解説も素敵でした

by akimo - 2018/07/26 9:09 PM

akimoさん
こんにちは。コメント有難うございます!
この写真は私の大好きな写真なので特に嬉しいです。
いつまでもこの写真のように姉妹仲良く、力を合わせていられたらと
思っています。

by さえ(若林佐江子) - 2018/07/28 12:46 PM

素敵な文章で、引き込まれました

by あっき - 2018/07/28 6:53 PM

あっきさん
有難うございます!嬉しいです。
読んでくださる方がくすっと笑えて
元気になるようなコラムが書けたらなと思っています。
良ければまたご笑覧ください。

by さえ(若林佐江子) - 2018/07/29 7:30 AM

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若林 佐江子
若林 佐江子

わかばやし・さえこ/北海道出身。平日はOL、土曜は訪問ヘルパー。休日は山へ登っているか、南三陸・福島・岩手を中心に東北復興のお手伝いをしています。自然、人、温泉、寝転ぶのが好き。得意なことはメカブ削ぎ。夢は東北の方々のお手伝いをしながらレポートし、現地の方のお役にたつこと。

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