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悩む人

2017-02-5
お金と罪悪感と幸せ

わたしはお金が好きだ。

大儲けしたいわけではないし、大金を積まれれば何でもするわけでもない。ただ、今日は安くておいしいものが食べたいのか、奮発して年に一度の高級レストランへ行くのか。自由にどちらかを選ぶには、今のところお金が介在してくる。選択できるお金の余裕があれば嬉しい。フリーランスで働く身としては、自分の写真がお金で評価されるのも否めない。予算があるとは思うけれど、やっぱりたくさんもらえる方が断然良い。

気持ちを表すにも便利で、目に見えて、軽く持ち運びしやすいお金。お米がこの国の貨幣代わりだった時代、人は米を作る土地に縛られどこへも行けなかった。そう考えると、旅が好きなわたしにとって、お金のおかげでなんて便利な世の中になったのだろうと単純に思ってしまう。

ただ、わたしはお金を使うことに罪悪感を覚えると、あるとき気が付いた。それはきっと、幼い頃から「貯金=正義」と両親から教えられてきたからだと思う。堅実な二人の生活を思うと、自分で稼ぐようになってからも、お金を使うことがどこか心苦しい。無駄使いをしてしまった、申し訳ない、知られたらきっと咎められる、そんな気分になるのだ。しかし、罪悪感を抱きながらもチマチマ消費し、まとまったお金が出来るとすぐ海外へ撮影に出かけたくなるので、貯金は今でも微々たるもの。わたしはお金が好きだけど、お金はすぐにわたしのもとから離れていく。使うことに罪悪感もあるというのに、不思議だ。

ところで「無駄使い」の逆は一体なんなのだろう。「有用使い」とでも言えば良いのだろうか。わたしは、その「お金を有用に使う」方法こそずっとずっと学びたかった。心苦しさなんて感じず、好きなお金を最大限生かす方法。例えば両親と違う価値観もあること。社会に出てから、少しずつその感覚を分かるようになったが、もしかしたら学校でそんな授業があっても良かったのではないかと思う。

今の時代、お金ではない何かでどう幸せになるかも問われている。物と物、あるいは技術、他にも知恵やスペースを互いに交換出来るかもしれない。例えば高揚感だって交換出来る。わたしは「どこかで飯おごるから。」には惹かれないのだけど、手をかけ育てられた野菜や、丹精込めて作られた料理はぜひとも何かと交換して欲しいと願う。興奮して眠れなくなるような演技を見せてくれる人や、素晴らしい出会いの場を提供してくれる人には、わたしも何かお返ししたいと思う。

自分はどのくらいお金を持っていたら(稼いだら)安心できるのか。どのくらい貯めておく必要があるのか。たくさんお金がなくても幸せに暮らせるのか。そんなことをじっくり考えながら過ごす人生も良いな、と近頃思っている。

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疋田 千里
疋田 千里

ひきた・ちさと/1977年京都府生まれ 現在東京都在住。高校・大学と写真部。カメラマンアシスタントを経て2003年よりフリーランス。クライアントワークスとしてのポートレイトや料理撮影に加え、日常や旅先の光景を写真に残す。

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