2011-01-18
いい女の門出
「この子には敵わない」と、何となくずっと思っている。
会ったときからだから、中学生以来の15年、私は多分彼女に憧れている。
なぜこんなに、好きなものも違えば価値観もあんまり似ていないのに、あの子に憧れているんだろう、会いたくなるんだろう。答えは簡単、彼女が「いい女」だから!
彼女は父親の転勤で、中学に入ると同時に北海道から来た。私が通っていた小学校は、卒業した子どもは全て同じ中学に行くので、彼女はほぼ「転校生」であった。彼女はそのときから大人びており、「私は私」感があった。自分に対して素直で、自由に見えた。私の家が旧弊かつ固い価値観と教育方針だったのもあり、私には余計に、彼女の心と環境が自由な女の子に見えていた。「今日うっかりピンクのキャミ着てきちゃって、社会の先生に怒られて超むかつく」とか、「北海道のときの友達と昨日の夜FAXで遊んでた」とか、「昨日マスカラ付けて遊んでたら、目に入って超痛かった」とか、私にとっては、そんなエピソード自体が憧憬の対象であった。あと、言ったら嫌がられそうなので当時は言えなかったが、私はずっと痩せ型で、その点彼女はぽっちゃりしていて、実はあのふわっとしたお肉が凄く女の子らしくって、可愛い!羨ましい!と思っていました。
中学は、全生徒が必ず部活に入ること、という方針だった(そういえば私はそのとき既に理屈っぽかったので、担任の教師に「部活動が強制的である理由が判らないから、やめていいか」と食い下がったことがある。受理はされなかった)ので、私は仕方なく美術部ということで美術室で有り余る程の時間を潰していた。いったい何の話をしていたのか最早忘れてしまったが、もう一人別の子と一緒になって、なんだかよくげらげらと三人でやっていたような記憶はある。ジャニーズがどうしたとかそんな話は全く出ず、当時聴いていたラジオとか深夜のテレビ番組ネタとか、何かサブカル感漂う感じだった。いかにもモテなさそうでしょう?
そうして学校ではなかよくしているけれど、不思議と休日に彼女と遊ぼうとしたことは無く、私たちの友達関係は休み時間と放課後とその帰りとを中心に在ったように思う。私の世界、というのが彼女には存在していて、それは家族とのお買い物だったり彼女の部屋だったりして、そこは私は立ち入りにくいと子どもながらに感じていて、気後れも手伝って誘いにくかったんじゃなかろうか。
その後違う高校に行ってからは殆ど会わなくなり、卒業後私は浪人したのち東京の大学に行った。彼女は既にこちらで大学生をしており、私の上京をきっかけにまた連絡を取り合うようになった。「会いたい!」となって、渋谷で確か『HEADWIG AND THE ANGRY INCH』を観た。そのとき彼女は古着のミニワンピを着ていて、そのオリジナリティが凄く可愛かった。その後は思っていたより頻繁には会わなかった。私はまだ自分と自分の右手に正直になれずうろうろしており、バンドをやってみたりして、彼氏と会うのにも忙しく、あとは生来の真面目さで大学の課題も忙しくしていた。だから、具体的にはその間の彼女のことはよく知らない。が、どうやら海外旅行をしたり、第二外国語をマスターしたりしていて、今に繋がることをやっていたようである。
社会人になって久し振りに会ったとき、凄く痩せていてびっくりした。ぽっちゃりした彼女を可愛いと思っていたので、ちょっと寂しい反面、「可愛い」から「キレイ」になった彼女には凄く感動を覚えた。話を聞くと仕事もばりばりしていて、相変わらず自分が楽しいこと、好きなことには正直に反応して生きていて、なんだかもう、ふわっとした憧れだったものが、そのときから確実な憧れとなった。教養もあり、株もできて、キレイで、何より素敵なのは、常にいろんなことに興味があってやりたいことが大きくも小さくも常にあるところが、凄くいい。仕事とは全然関係ない「ヨモギ蒸しエステ」とか「文楽」とか、「ケシャ」とか。こないだはiPhoneの待ち受けが、バービーがドル札に埋もれている写メか何かだった。ひとつのことを叶えたいと思って、よく言えば真摯に、ただ何かと一元的で不器用に、ときとしておミソに生きている私には、彼女は凄く軽やかで、可愛くミーハーで面白い、本当に「いい女」である。勿論モテる。と思う。
そんないい女はこの冬、海外の大学に語学留学することを決めた。
中国語をビジネスレベルまで使えるようになりたい、その為には今しかないから今行くの、手続きと引越準備でてんやわんやだよ、と教えてくれた。私がもしこの子の彼氏か何かだったら、もういい女過ぎて厭んなるなと思った。
ちょうどその話を聞いたとき、私は自分への「無価値観」を長いこと持っていて(世間的にも割とよくある思い込みの一種のようです)、それが最近いろんなことが思う様に行かなかった原因である、というところまで辿り着いていたので、彼女のそのプランを聞いて目が醒めた。私の目の前のいい女がいい女たる所以は、「自分の欲求に目が向いてそれに素直に反応すること」であり、つまり「自分に目が向いていて、自分を大事に可愛がれている」ということ、これだわと思った。他人がどうであれ私は私として生きて、楽しいことをやって幸せに暮らすのです、というスタンスを前は私もあんなに強く持っていたのに、いつの間にかなくしていたようです。
このまましばらくは、私はやっぱりあなたに憧れているのだと思う。
もしかしたらまた、気後れしたり羨ましいと思ったりするのかもしれないけれど、
それは、それだけあなたが素敵であるということでもある。
気を付けて行ってらっしゃい!あなたに次に会うときはきっと、私の目はちゃんとまた「私は私であることを知っています」という目になっている。
1件のコメント
憧れるって、自分の中にもその対象となる要素があるって
ことだよね。
だから、その目にうつるその子、その見かたは
なおちゃんそのもの な気がするな。
アナタも憧れられとる、いいオンナよ
最近読んだブログの中で
ダントツにおもしろく、感動したよ
ありがとう!
無敵美人に、わたしも会いたい!笑
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