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迷走&発見!スピリチュアルの森

枯れ落ちる木の葉にさえ、人生の意味を問いたくなる晩秋の候。
そんな問わず語りな季節にふさわしく、今月の特集テーマは「スピリチュアル」。それを信じるか信じないかということではなく、その人自身の思考、言動、行動にまで影響を及ぼすスピリチュアルとは何か。そこまで求めてしまう、ハマってしまう、信じてしまう心、欲望、願望とは何なのかということを考えてみたいと思います。
まずは、一歩間違えると現実が見えなくなりかねないスピリチュアルの危うさについて、編集部2人の対談からスタートです。
多川

チャネリング、波動、前世、ソウルメイト…etc 精神世界、心霊世界のブームは昔から繰り返しあったけど、ここ数年のスピリチュアルブームは、単にオカルト・ミステリーへの興味というより、幸福を呼び込む思考、価値感として浸透しつつあるような気がする。



確かに、ひと昔前なら前世や守護霊と言うと、宜保愛子、丹波哲郎の死後の世界とか(笑)。でもいつからかなぁ。「スピリチュアル」が幸せになるため、自分らしく生きるための道筋になったのは・・・

魚見



多川

自分の実感としては「自分探し」ブームが始まった世紀末あたりのような。自分を探し求める人が増えてくると「ここにありますよ」という人やモノやサービスが現れる。いわば、需要と供給。
「世界にひとつだけの花」じゃないけど、自分の存在が特別大切なオンリーワンという気づきがあって、そこから一歩進むと特別な自分を生かす特別な方法が知りたくなる。スピリチュアルは、そういう時代の欲望を満たすひとつの受け皿なのかも。



今回の特集、一番考えさせられてるわたし(苦笑)。というのも4~5年前、スピリチュアルな世界に没入していた時期があって、そのときの自分を振り返ると、やっぱり「特別意識」があった。自分がこの世に生まれた理由、この世界を動かす真理や法則を知りたい。それを知る使命が自分にはあるという特別意識。でも、そのときは気づかないし、気づけない。医者から治らないと言われた人の病気が治ったり、夢や願いが叶ったりという現実を間近に見ると、目に見えない世界の方が本物に思えて、どんどん本来の自分からかけ離れた考え方になっていく。そこが落とし穴(笑)

魚見
迷走&発見!スピリチュアルの森
多川

「念ずれば通ずる」とか「誰が見てなくてもお天道様が見ている」という日本古来の信仰心、それこそ生活現場のスピリチュアルならわかるけど。それだけじゃ足りないってこと?



う~ん、何というか、そういう見えない力に導かれている不思議を確かめたい、知りたいみたいな・・・

魚見



多川

見えない不思議が、自分に起こってほしい?



そう!身近な人から信じられないような奇跡的な体験や話を聞くと、自分にも起こるような気がした。今は「気がした」と言えるけど、そのときはそう信じてた。

魚見



多川

でも、それは一種の自己暗示、幻想じゃないの?



そうだったと思う。でも、「オーラの泉」の江原さんみたいに自分の部屋に何が置いてあるか、その人が知るはずもない自分の状況や話したこともない悩みや迷いを言い当てられると、この人の言うことに間違いはないと信じてしまう。それを信じられない自分が悪いみたいな…(苦笑)

魚見



多川

抗えなくなるのが一番怖い。人それぞれ、自分の泣き所があって、そこを抑えられたら自分の意思や主体的な判断が効かなくなるのが人間。と、うちの親が憎々しげにつぶやいてたのを思い出した。誰のことを言ってたのか、たぶん自分のことやと思うわ(笑)

あなたは“スピリチュアル”についてどう思いますか?感想やご意見お待ちしています。。

1件のコメント

辛いことが立て続けに起こったとき、自分が信じられなくなってけっこうスピリチュアルにはまりました(まさにオーラの泉の頃)。
結果、確信したのは私の人生にとって、スピリチュアルなんていらない。お天道様で十分。私、普通に良心あるし、それでいいんじゃないかな?って。
私にとっては、正直、百害あって一利なしと言って良いくらいプラスになりませんでした。むしろ、かえって自分を苦しめたように思います。

その後遺症は今もけっこう残っているかな。スピリチュアル、結局、心の傷からくる依存症みたいなものでした。

by Forest - 2013/10/07 4:06 PM

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