一時期、そういうものにどっぷりハマってしまった女性は意外に多いのかもしれない。果たして自分はどうかといえば、スピリチュアルには向かわないにせよ、確かなものを何かに、誰かに求める心はある。自分の考えや行動、生き方に対する理由や言い訳を探したり、向き合っているようで逃げていただけだと後から気づかされた失敗も腐るほどある。結局、自分はあのとき何を求めて、何を思っていたのかがわかるのは、いつだって後になってから。そう、真実はいつも後からやって来る。「ほれ見たことか」と…
一巡してわかった、答えは日常の中にしかないと。ずいぶんハマったけれど、ずいぶん落ち着いたと思う。私のスピリチュアル試行錯誤。今はそれも必要な学びだったと思ってます。生真面目に人生や人と向き合えば当然出てくる葛藤に真っ向から挑んだんだと思う。そして今はどうか。すっきりオサラバ、日常の生活の中に神を観るようにしております… 「逃げ」と「向き合うこと」は、表裏一体。リサイクルマークみたいに。それだけ相手に存在感を感じているからこそ気になっちゃう。 40歳 モン
見えない「何か」はある。でも、だからどうした?私が精神世界にハマったのは、17、8年前。「前世療法」という本がきっかけだった。それから様々なスピリチュアルの本を読んだ。うまく行かない時、人生に迷った時、スピリチュアル本や話に相当助けられたと思う。でも、最近になって、その「助け」が私の奥深くでの助けになっていなかったことに気づいた。頭の中ですっかりわかったつもりで、ものすごくポジティブに生きている気がしていた。人よりも自分が「いい場所」にいるような気にもなっていた。選民意識みたいなものもあった(うっとうしい~!)。 misa
自分を助けてくれるのは奇跡の力じゃなく、地道な努力。うまくいかない時、何か “悪いもの” のせいにしてしまうのは簡単で、そしていつか起こる”キセキ”が、ここではないどこかへ連れて行ってくれると信じていた。たとえば、それが宇宙人だったり、天使だったり、あるいは霊だったりという、文明が切り開かれ発展していくうちに、閉ざされてしまった人類の1つの感覚、信じられなくなった目に見えない力は本当にあるとは思う。 あしゃこ
スピリチュアル・ボヘミアン「結局、本当のところは分からない…」私がスピリチュアルな旅をやめてしまったのは、最終的にはそこに行き着く。今では、精神世界やスピリチュアル系の本など、ほとんど読むことはなくなった。 ランプ
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1件のコメント
辛いことが立て続けに起こったとき、自分が信じられなくなってけっこうスピリチュアルにはまりました(まさにオーラの泉の頃)。
結果、確信したのは私の人生にとって、スピリチュアルなんていらない。お天道様で十分。私、普通に良心あるし、それでいいんじゃないかな?って。
私にとっては、正直、百害あって一利なしと言って良いくらいプラスになりませんでした。むしろ、かえって自分を苦しめたように思います。
その後遺症は今もけっこう残っているかな。スピリチュアル、結局、心の傷からくる依存症みたいなものでした。
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