salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

迷走&発見!スピリチュアルの森

女性はどうもスピリチュアルな言葉、モノ、世界に惹かれやすい。それはなぜなのか。愛してるだの何だのと言葉にしないとわからない、証拠を見ないと信じない、恋愛、結婚、生活、見えないものはないも同然という現実派は女性の方なのに。って、だからか。現実にないものを求めてしまうのは。ああ、どこまでも、ないものねだりのI want you。悔い改めよのスピリチュアルということか…

自由な妄想の世界、自分の居場所探しなのかも・・・

そんな時代なのかな?自分が傷付かない世界を求めているような気がする。答えがないから責められることもない、つまり自由な妄想の世界と一緒。自分に都合のいいところだけスピリチュアルを持ちだすイメージもある。結局、女性は何か安心できるものに抱かれて、守られていたいのかなぁ~(笑) だから、その行き場がたまたまスピリチュアルなだけかもしれない。
人によっては男、人によってはお金、人によっては仕事…
もしくは自分を表現するための、自分の存在を知らせるためのツールなのかも。逆に考えると、現実世界に自分の居場所を求めて彷徨う人も多いような気がする。どっちにしたって自分の居場所探しなのかな? それがスピリチュアルなのか? 現実世界なのか?
現実世界でもうっとうしい奴もいるからね。

アイコ

自分では出せない答えが欲しいのかな。

スピリチュアル…。よくわからない、というのが本音。ヨガやフラ、サーフィンなどを楽しんでいるので、そういうことを考える機会はあるのかもしれないけれど、あまり考えたことがない。ただ、一時期、人生を迷走していた頃、数回占いに行ったことがあった。そういうことなのかな。自分なりに考えるなり、行動するなり、流れに身を任せるなり、時間をかけないと分からなくて解決できないことがたくさんあるけど、やってもやっても答えがでなくて先が見えなくて不安な時、そういう超自然的なものに頼って、一時の心の平静を得たいと思うのかもしれない。現実逃避とも違う。なんだろう…気持ちのより所とか、たとえ的外れだったとしても自分では出せない答えが欲しいのかな。

エチルダ

自分の人生と共にある哲学みたいなもの。

スピリチュアルか〜。今の私と共にあるものかな。ちょっと大袈裟だけど、目には見えない “大っきな愛” とでも言うのかな。人生40年近くも生きてると色んなことがあるでしょ。いいことも、そうでないこともさ。そんな経験を通していろんな感情、ものの見方や考えを知って、自分の人生と重ねたりしてると生き方と哲学がちょっと近く感じるの。そこにはスピリチュアルってものが共にあってね。だけど、人にぺらぺら話したり期待や依存する物でもない。
そうなると新興宗教と同じになっちゃう。自分の内側のことだからね。

スピ系料理家より
以心伝心、合縁奇縁、波長が合う人、合わない人。原因があって結果がある現実の道理では解釈できない不思議なことがこの世にはある。だからわたしは、目には見えない世界、法則はあると思うし、そういう「何か」が見える人がいるのも信じられる。
ただ〜し!どんな世界にも本物と偽物がある。わたしが勘弁してほしいのは、頼んでもないのに預言を授けてきたり、悟った風な意味深な忠告をしてくる、お前が不思議なスピリチュアル星人。
能ある鷹は爪を隠すじゃないけれど、本物のスピリチュアル星人は
これ見よがしに自分の力を誇示したりしない。「わたし、見えるんだよね」の自分アピールなど決してしないし、それを「特別」とも思わない。なぜなら、見える人にとっては特別でもなんでもない、それが当然ある事実なのだから。
というわけで、最後は「こんなスピリチュアルはイヤだ!」というコメントで、スピリチュアルの森をなぎ倒し、これにて流れ解散とさせていただきます。

特別意識がヤバイ。

子どもの頃から、「スピリチュアルな世界」を普通にそこにあるもの、と認識していたように思う。そもそも母親が「見える人」だったし、幼稚園の時に、裏に住んでいた霊能者の先生に可愛がってもらったことも多少は影響しているかもしれない。だから、自分からその手の話をふることはないのに、友人や知人もあとから「その手の人」と判明するケースが多く、私の回りには、「隠れスピリチュアル」な人種が集っている。うっとうしいのは、「スピリチュアル」な能力や感性が「特別」だと思っていて、声高に主張する人ではなかろうか。軸足がそっちにあって、現実逃避のツールになっている人には近づかない。あの世があってもなくても、私たちが現世で生きているのは事実だから。

シナモン

自称スピリチュアルにご用心!

先日も、数回しかお会いしたことのない50代マダムに「あなた!お金が出て行くの注意よっ!」と、いきなり斬り捨てられたところ。忍法辻斬りスピリチュアルである。かたや、会うといつも「パワーがある人だから楽しみです」と、なにげに声をかけてくれる女性がいる。彼女には、きっと見えたり感じたりしてるのだろうと思わせる何かがあるのだけれど、自らは何も言わない。
ただ話を聞き、間違いを思い直させ、私らしい心の持ち方にリセットしてくれる。3人の子供をかかえるシングルマザーで自営、多忙を極める彼女だけれど、いつも満足している様子なのに対し、辻斬りマダムは、何も見えない私ですら満たされてない感じを受ける。波動には高い低いと、音域みたいなのがあるらしいが、きっと辻斬りマダムは低い波動しか感知出来ず、それは自身のコンディションともリンクするんではないかしら。
本当の波動を持つ人たちは、地球をも包めるぐらい、領域など存在しないのかもしれない。自称スピリチュアルな人たちに、まずはお願いしたい。「吾唯知足」。われ、ただ足るを知れ。

半熟玉子

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1件のコメント

辛いことが立て続けに起こったとき、自分が信じられなくなってけっこうスピリチュアルにはまりました(まさにオーラの泉の頃)。
結果、確信したのは私の人生にとって、スピリチュアルなんていらない。お天道様で十分。私、普通に良心あるし、それでいいんじゃないかな?って。
私にとっては、正直、百害あって一利なしと言って良いくらいプラスになりませんでした。むしろ、かえって自分を苦しめたように思います。

その後遺症は今もけっこう残っているかな。スピリチュアル、結局、心の傷からくる依存症みたいなものでした。

by Forest - 2013/10/07 4:06 PM

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