読後の一服ノートあと書き: Ritsuko Tagawa
まず私は、結婚も入籍もしていないが、かれこれ10年「ふたり」暮らしを続けている。結婚せずとも不便や不都合なことは何もないのだけれど、家を借りる、保険に加入する、クレジットカードを作るというような段になると、はたと困るのが「既婚」でも「未婚」でも「家族」でもないこの中途ハンパな自分たちの続柄。「何と言えばいいのか」といつも迷う。なので最近では、「家族(同然)」などと記入して、「どういうことですか?」と質問されるのを待ってから、「いえ実はこうなんです」と説明するシステムを自ら設定するなど、それなりに工夫しながらだましだましやっている。 仕事をしながら毎日充実した独身生活を過ごしていると言っても、特別キャリア志向でも一生独身を銘打ってるわけでもなく、かといって「いまどきハッピーな独身女子」でも「年下男を狙う年増ギャル」でもない。仮にふたりであろうと「共に刺激し合い成長し合える関係」や「いつまでも男と女でいたい」と、そこまで貪欲にモチベーション高く向き合っているわけでもなく・・・。そんな今ひとつとらえどころのない自分たちについて、一度しっかり重苦しく考えてみようというのが、今回の「考えテーゼ!」でした。 「アラフォー」とか「独身女子」とか、どんなに軽やかに弾んでみたところで、自分の中にある荷物の重さが変わるはずもなし。中年女性が「ガールズ」なわけがない。かといって「婦人公論」では重すぎるし「女性自身」では偏りすぎる。そのあたりの現実を踏まえた上で「ひとりの人生」「ふたりの人生」、どうありたいか、どう生きたいかを問い詰めてみることで、今の私たちが求める結婚なり、パートナーなり、夫婦のあり方なりが見えてくるのではないかと思ったのです。というと、結局「ふたり」について考えたかったの? となるのですが、たぶん興味をもって知りたいのはそっちじゃないかと(苦笑)。 独身だろうと夫婦であろうと、一個の人間として「ひとりで在る」ことは同じ。だから、私がわたしであり続けるために頑張る、努力することは、ひとりであろうがふたりであろうが人としてあたりまえのこと。そう言える大人になってこそはじめて取り組める「ふたりの生活」「ふたりの人生」がある。それが今の私たちが望む結婚なりパートナーだったり「ふたり」だったり。 ちなみに、このテーマを親しい男友達2人に投げかけたところ、 5/5 |
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