salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

ひとりより、ふたりか?

さらに、27年の結婚生活を振り返ってのふたり考。
そして、ひとりでは生きられなかった父親に思うこと・・・

「愛し愛されたり」を求めたら、続かないって…

夫とは付き合って3ヶ月で結婚。夫には悪いが…恋愛の結果としての婚姻関係ではない。今だにその後ろめたさが少しだけある。彼もそれは分かっていると思う。というかあまりそういったことに関心がない。現在、結婚27年目。結婚生活をやめる理由も,続ける理由もないので続けている。「昔は共に白髪が生えるまで」といわれていたけれども、それは人生50・60年の時代のこと。長寿社会になる今は、子どもが独立してからこれまで生きてきたのと同じ時間を二人で過ごすこととなる。これからの先は長い。今の夫と暮らすかと問われれば、分からないと答える。結婚生活など何年経っても不安定な契約だと私は思っている。頑張って続けなければならないのなら別れるだろうし、頑張らないで一緒にいれるのなら続くと思っている。頑張らなくても続けられるパートナーがいればふたりでいることの方が幸せなのかもしれない。すごく愛したり、愛されたりという関係を続けることは大変だと思っている。玉置浩二はきっと凄く愛する関係が好きなんだろうな…
それって続かないって…

52歳 Y.A

ひとりでも生きていける人なら…

「人はひとりでは生きていけない」子供のころ、父によく言われた言葉だ。もちろん、それは恋愛や人生のパートナーの意味を越えた、もっと広義な意味であったのだろう。しかし、その父は私の母とは離婚し、再婚相手とも惚れた腫れたの女性問題を繰り返した挙句、病に倒れ、今は結局別れなかった妻の介護を受けながら暮している。文字通り、肉体的にも「ひとりでは生きていけない」人になってしまった。万が一、あの時再度離婚していたら、ひとりになり、病に倒れ、それでも物理的には、年金生活で病院や施設に暮しながら、社会保障に頼って生きてこれたのかもしれない。しかし、精神的にはどうなのだろう?きっと、別れなかった原因は、精神的にひとりになれなかったからだ。離婚してひとりになる勇気がなかったのだと思う。つまり父は、「ひとりでは生きていきたくなかった人」だったのだ。そして、その妻もまた、そうだったのだと思う。人間というのは本当に弱い生き物なんだなと思いつつも、恐らく自分もその中の一人であるのだと感じる。本当のところ「ひとりで生きる」ことを選べる人は、「ひとりでも生きていける人」であると同時に、実は「ふたりでも生きていける人」でもある気がする。そこにはちょっと、強さとか覚悟といったある種の健全な意思の匂いさえする。しかし、「ふたりでしか生きていけない人」が選ぶ「ふたりで生きる」ことは、ロマンチックではあるが、なんだかちょっと哀しく感じてしまうのはなぜなんだろうか?

39歳 ランプ
「ひとり口は食えずとも、ふたり口なら食える」というように、ひとりならどうにもならない現実も、ふたりなら何とかなる。あるいは「ひとりを生きられない者は、ふたりでも生きられない」という言葉もある。ひとりで生きられない者がふたり寄ったところで、何ともならないということか。
そんなことを考えながら思うのは「ひとりで生きる力」が必要なのは、ひとりで生きるためだけではないんじゃないかと。
それはやはり、ふたりで生きるためではないかと。
「ふたり」というのは、人生の伴侶・パートナーのことでもあり、広い意味で、他人と共に生きる、誰かのために生きられる幸せのことなのでは。だから、未だ自分のためだけにしか生きていない私は、まだまだひとりを生ききれていないのだと思う。
そんな私の話はともかく、12人のみなさんそれぞれの「ひとりよりふたり、か」。たぶん、これは現時点での考えなので、10年後、20年後、あるいはもっと先に同じテーマを問われたら、また考えが変わっているかもしれないし、同じ考えでも説得力は相当増しているかもしれず。今はひとりでも、「これ!」という人に出逢えばふたりに。今はふたりでも、色々あってひとり、ふたりを繰り返す人生の先に、いつかひとりになる時が必ずや訪れる。
そのとき何を思うのか、誰を思うのか・・・
そこに「ひとりよりふたり、か」の答えがあるような気がする。
文・多川麗津子

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