確かに、ひとりは望めばなれるが、ふたりは望んだからといってなれるものでも続くわけでもなく・・・。誰かと人生を共有することは、もちろんいいことばかりではない。生活を共にするということは、相手の人生に起こるすべてが自分にも降りかかってくるということで、ひとりなら味わえない楽しさにもれなく、ひとりなら味わわずすむ苦労や憂き目も付いてくる。それをどう受け止めるか、どう取り組むか、どこまで自分は受け入れられるか。だからこそ挑む価値ある人生修行の「ふたり論」3連発。
人と絡み合う、人生の修行・冒険をしてみたいどれほどわかり合える親友にも、ぶつけることが出来ないことがある。「機嫌、気分、甘え」など、決して他人様に投げつけてはいけない類いのものである。この「他人様に、投げつけてはいけないもの」を交わし合い、許し合う人間同士のキャッチボールに、私は今、興味津々だ。 44歳 半熟玉子
お互い好き勝手やってたら、結婚した意味がないひとりでもふたりでも、それが幸せな方向になるように自分で工夫する。だから、ひとりでも幸せだし、ふたりでも幸せになるようにする。ふたりだから幸せになる保証なんてない。ひとりだから幸せになる保証もない。ふたりだから幸せだ、というのは、結果的にふたりだから幸せだと言えるような事を積み重ねてきて、その結果、過去を振り返って判断しているだけ。そう思えるか思えないかはそれまでの積み重ねとその時の感情でしかない。良かったと言えるようにしてきたというだけ。私の場合、結婚してから考え方がガラリと変わった。結婚する前はお互いが気楽に自由に好きな事をやって、そして一緒に楽しい生活を送ればよいと思っていた。結婚してからは、考え方が変わったというよりも逆に結婚した以上は今までと同じ考えではつまらないなと思った。それはお互い好き勝手やってたら一緒に生活する意味がないと思ったから。 34歳 きんちゃん
生活の基盤として、ふたりで人生を歩めたら1人暮らしより、家族や彼氏、旦那さんと生活しているときの方が、明らかに楽しかったと思う。細かいことを思えば、煩わしいこともたくさんある。相手にふりかかる災いは自分のこととしてふりかかってくる。かといって、相手の幸いがそのまま自分にも幸いなこととは限らない。では、ひとりではどうだろう。好きに仕事して、余暇を楽しみ、自分のために自分で稼いだお金を使う。ひとりでもちゃんと充実した日々を生きていける。健康であればお金に困ることもないだろうし、本音を言える友達や仲間もいる。ただ、その友達や仲間と人生を共有することはできるのかと考えた時、生活の基盤として、誰かとふたりで人生を歩みたいと思うのかもしれない。 33歳 エチルダ
3/5 |
|
|
コメントはまだありません
まだコメントはありません。よろしければひとことどうぞ!
現在、コメントフォームは閉鎖中です。