salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

人生現場の金銭論

お金に見え隠れする人間の心。お金の使い方というのは、その人の性格の表れであり、金銭感覚というのは生き方そのものといえるのかも・・・。
‘80年代バブルの消費時代に女子高生・女子大生だった自分は、かなり金銭感覚が犯されている。なんせ、クレジットやローンに対する抵抗感がまったくない。親の世代に言わせれば、クレジット=借金。たぶんリボやキャッシングなど「借金まみれ」みたいな感覚だろうし、本来、それが真っ当で健全な金銭感覚である。なのに、ああ、それなのに。欲しいと見ればクレジットカードに頼るわたしもまた、消費という病に毒された現代人であることは否めません・・・

返し終われば新たなローンの繰り返し・・・

最初に自分がローンを使ったのは学生の頃。一括現金ではとうてい手が出ないような高額な海外旅行の代金だったが、その頃本格的に普及し始めた学生ローン(及びクレジットカード)を使って、約2年間の支払いをした。「なんだ、こんなものか…。あんな大金でも、バイトしたりして返せば、こんなに簡単に返せるんだ。なんて便利なんだろう。」これが、最初の感想であり、その後の旅行人生に付きまとう旅行ローン地獄である(笑)
その時お金がなくても、どうしても旅行に行きたくなればローンを組む。そしてそれを返し終わるか否かの頃、また新たな旅行に出かけ、ローンを組む。人生、その繰り返しである。今思えば、あの最初のローンが私の借金の感覚をすべて決定付けた。社会的にも、ローン会社や消費者金融が表舞台に堂々と出始めた頃の戦略にまんまとハマったともいえるかもしれない。親は、何が何でも借金はダメ、借金=悪とする世代であるが、私はすでに、クレジットがないと生きていけない世代である。哀しいけど…。

ランプ
わたしは、とにかくよく財布を落とす。40年の人生で記憶しているだけで遺失経験18回。2年に1度は財布を失っている懲りない間抜けである。そんなわたしが15年ほど前、アパレルショップに勤めていた頃。出張先の東京で、お約束のように新幹線の切符の入った財布を恵比寿駅のトイレに置き忘れ紛失。そこですかさず「とりあえず新幹線代。困るでしょ」とさっと自分の財布から2万円を渡してくれた先輩がいた。これには、シビレた。理由や事情を尋ねる間もなく「これ」と差し出すその度量の大きさに、小物の自分は圧倒された。そして、やはりそういう人は出世する。その先輩も、知る人ぞ知るファッション業界の有名人として名を馳せる活躍ぶり。その人の器の大きさもまた、お金というものに現れるものである。いつか自分も、困ったと見るが早いか「これ、今使わないし」と差し出せるような、ありがたい信義あるお金の使い方ができる人間になりたい。そうなるためには、お金に生きてたらあかんのよね(苦笑)

「義」と「利」のバランス。それが私の金銭哲学。

以前ブティックを経営していた時、取引先2件分をあべこべに振り込んでしまい、運悪く多く振り込んだ先に夜逃げされ、差額35万円の赤字を作ったことがある。
長年取引きを交わしているデザイナーK氏にことの成り行きを愚痴った1週間後。突然そのK氏がお店に現れ、1時間ほど世間話しをしたついでに「過去6年分の在庫があれば売りさばくから返品してくれ」と言い残し帰って行った。
二束三文でもありがたいと在庫を送った一ヶ月後、送られてきた伝票はなんと仕入れた時と同じ掛け率で引き取られており、総額約35万円。そのままK氏への支払いにスライドされ赤字が消滅した。
この時、私の中でお金は打算や損得からかけ離れたものとなり、K氏の厚意に「義」という言葉を思い、そして、いつか自分もこういうことの出来る人間になろうと誓った。とはいえ、人々の欲望を内服しこの世の中を廻るお金である。「義」と「利」。今のところ、このバランスをとっていくことが、私のお金のフィロソフィーです。

半熟玉子
文・多川麗津子

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