salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

人生現場の金銭論

●良心が仇になる、借金の因果

Bさんのお父さんも、根本的な問題はお父さん自身にあるような気がするけど。自分の生き方、このままでいいのかと立ち止まる機を見失っていたのかも・・・
結局、親父も自分が抱えていることはおかんにも家族にも一切見せない人だったから。いつも借金の取り立てがきたときに初めて、親父の実体が明るみになる。もう大丈夫と思っていたら「またか!」と。その繰り返し。
借金って、一番大事な人、自分の妻や夫、家族にだけはバレたくないものだったりする。Aさんのお父さんがお母さんにかまってほしかったのと同じく、妻や家族には心配をかけたくない、迷惑かけたくないみたいな。結局、その良心が仇になって、ものすごい迷惑をかける結果になるところが借金の因果というか何というか、なんとも苦しく切ないけど断ち切れない「金」の恐さ。
自分はフリーで仕事をしてたりするから、ないときはないわけよ。びっくりするほど(苦笑)。そういうときに、借金しなければ続けられないような仕事を続けていく意味があるのかとか、自分の仕事のやり方や方向性をものすごく考えさせられたりするし。ただ、それと同時に、なきゃないで何とか凌げた経験も積み重なるから、良くも悪くも「ない」ということに免疫ができる。むしろ、ないことに甘えている自分がいたりして(苦笑)。だから不安定な人間の方が「借金」に対する抵抗感が薄くなるのかも。

●友だちとは、お金の貸し借りだけはしたくない

お金の問題でいえば、友人同士でお金の貸し借りってしたことある?

全員 ないなぁ。

飲み代とかの貸し借りはあっても、「いくら貸してくれ」みたいなことは一度もない。というか、友だち同士で一番やりたくないのが金の貸し借り(苦笑)
もし自分にあれば、友だちに頼まれたら貸すなぁ。だってわたしに頼んでくる時点で、よっぽどのことやろうから。気持ち的には、返す・返さないの借金というより「募金」の域かも(苦笑)
友だちにお金を借りるって、よっぽど恥を忍んで覚悟を決めてのことだと、自分も「それだけはしたくない」人間なわけよ。そこを飛び越えてわたしに頼んできたということに価値を置いてしまう。その人の本気を見るみたいな。
でも、だからといって「本気」ではないということを、返してもらえていない苦い経験から学ばされた(苦笑)。
借りることには本気でも、返すことには本気じゃなかったってことやろな(苦笑)でも、そこで自分に対する気持ちが露呈して見えるというか。わたしって踏み倒しても構わない、その程度の人間だったのかと(笑)。
自分が思うほど、人はそこまで思っていないみたいな(笑)。貸したのはお金だけど、やっぱりそこに自分の思いを乗せ込んでしまっているから、いまだに自分の中でわだかまりが残っているんだと思う。でもそれがお金ってヤツ(笑)。見なくていいような人間の心の奥底まで暴き出して、まざまざと見せつけられたりするし。
貸した相手に「返して」というのは言いにくいし、そう思ってる自分の小ささがイヤになったりする。言おうか言わまいかためらった次の日に、ひょっと「これ、こないだの。ありがとう」とか返してくれたりすると、「ああ、言わなくてよかった」とか。
スケールが小さすぎるけど、あるよね(笑)。
貸した方は貸した方で、自分の友情や人間としての度量を試されるわけよ。必要以上に内面をえぐり出されるようで、そこがキツイ(苦笑)。
それだけ自分たちの心は、お金に左右されやすいから、お金じゃない愛情や友情でつきあっている者同士は、「お金」を間に挟むべからず。それが間に入ってくると、思わなくてもいいことを思ってしまうから。
誰だってお金のことを考えずに生きていきたい。ということは、それなりに稼ぎが必要ということになる。お金に縛られないためにお金は必要というだけ。それ以上でもそれ以下でもない。うん、まあでも、お金やで(笑)。
今の「お金やで」の言葉の行間に、「お金じゃない」心が滲んでる(笑)。そう、ほんまはお金じゃないのに、お金に落ち込まされるときほど、惨めで悔しいことはない。
お金じゃなく生きるために、お金が要る。ある程度の(笑)。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

コメントはまだありません

まだコメントはありません。よろしければひとことどうぞ!

コメントする ※すべて必須項目です。投稿されたコメントは運営者の承認後に公開されます。


コメント

バックナンバー