さりとて
現実はこうで、現状はどうで、人はどうあっても、
それでも私は…と思う心に、ほんとの自由があるように思います。
本気で悩んで葛藤して、イヤというほど考え続けてこそ、
それでも捨てきれない「自分」というものにぶちあたるわけで、
そこに、のっぴきならない
オリジナルな希望があるのではないでしょうか。
世の中はどうあれ、時代はどうあれ、みんなはどうあれ、
それでも私はどうあるか・・・

さりとて、さりとて。
悩める自由と捨てきれない希望に満ちたあなたもわたしも。

さりとてができるまで。
はじめに

ここ最近。
書店に並ぶ新書の帯に、やたらと「不安の時代を生き抜く知恵!」
とか「人間存在の本質に迫る!」というような
哲学めいた惹句が踊っている。

人生とは何か。人間とは何か。自分とは何か。

わたしが近しい女性たちと会って話すことといえば、
そういうことだったりする。

人生をどう生きるべきか。
わたしはどういう人間か。
これから世の中はどう変わっていくのか。
そこでわたしにできることは何か。

何も会ってすぐそんな深みにもぐるわけではないが、
日々仕事をして、生活して、色んな人と関わりあう
日常で感じたこと、思い至ったことを話していくと、
自然に「人生とは」みたいな流れになる。

たぶん、わたしたちは、人が何を思い、何に迷い、何を考え、
どう生きようとしているのかを知りたがっているのだと思う。

自分が生きている今、このまわりで、日本で、
世界で起こっていることはどういうことなのか。
何が終わっているのか、何が始まろうとしているのか。
大きな時代の変わり目、転換期ということだけは
何となく感じるけれど、
じゃあそれはどういう変化なのか。
そこで受け入れるべき現実とは何か。
踏ん張るべきか、逃げるべきか、乗り越えるべきか。

そういうことを考えるために、人の考えが知りたい。
誰かの考えにふれたとき、わたしたちは必ずそこで何かを思う。
そして、考えさせられる。

ならば、そういう「考え合わせる場」を、
自分たちでつくってみようじゃないかと思ったのが、
この企画の始まりです。

最後に言うまでもなく、飛び抜けて素敵に輝いてる女性とか、
恐ろしくナチュラルでやさしい暮らしとか、
凄まじくサクセスフルなメソッドとか、
誰がめざしているのか見当もつかない紀香バディとか、
そういう商売がかった「幸せ」や「豊かさ」や「美しさ」を
提案する・発信するようなこざかしいマネは
したくないと考えています。


いい道草の食い方

人間とは、社会とは、自立とは、愛とは、成功とは…。
そんなこと考えなくても毎日生きていけるようなことを考えるのが
ムダに見えるがそうじゃない「いい道草の食い方」です。

わたしの少数意見、歓迎

自分が考えていることを考えるまま相手に話したとき、
その相手も「同じようなことを考えてた!」という
偶然一致した「考え」ほど信じられるものはなかったりします。

すでに世間に流通している生き方や考え方、
共感指数の高いメジャーな路線である必要などまったくなく、
あくまで個人の見解、個人の解釈、個人の意見を出し合う場所です。

半径1mのリアルワールド

半径1mの身の回りで起こる出来事、
まともに話せる(あるいは話せない)
数人の友人知人の体験や話から、
時代、社会、人間を考察し、分析し、
自分なりの結論を引っ張り出す。
そういう焦点を絞りきった考えというのは、
いいも悪いも、正しいも正しくないも、
妙に説得力だけはあるものです。

「他はどうかは知らないけど、私の知る限り、
 世の中はこうみたいよ」
そういうそれぞれの周囲半径1mで見て聞いて感じて
思った「事実」は、専門家が語る100の「真実」より、
リアルに考える手がかりに。

善悪清濁ミクスチャー

わたしたちは、社会・環境・人に対して「えっ?」と
たじろぐ矛盾や違和感、ギャップを感じたとき、
やたらと考えさせられます。
思っていたことと実際に起こった現実との「差」が
大きければ大きいほど、頭を抱えるシンキングタイム。
さらには、アタックチャンス!なのです。

なので「salitote」では、ポジティブからネガティブ、
ナチュラルからケミカル、ハードからソフト、
右から左、振り幅の広い考えを縦横無尽に
ラインナップしていきたいと思います。

なぜなら、わたしたちの頭の中は、善悪清濁、
聖なるものも俗なるものもひっくるめて
「考えずにいられない(愛さずにいられない)」
とっても自由で混沌としたシステムになっているからです。

何はなくとも歩きながら考える、
大人の道草ウェブマガジン「salitoté」発進!

よかったら、ご一緒に。

2010年9月8日