salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

平気で手を離してまた会いたい

2011-06-11
羽黒_01

先週、会社の近くの本屋でインディアンの写真集を買った。TASCHENの『NATIVE AMERICANS』という本で、あの★マークの「ICON」シリーズのひとつである。
これが凄くよかった。
白黒のインディアンたちの写真が、淡々と続く。とても派手に着飾っているひとも居れば、素っ裸同然のひとも居る。もしかしたら着飾っているひとは撮影をするからということでここいちばんに気合いを入れてきたのかもしれない。ほぼ素っ裸のはそういう目で見てみるとみな生活のワンシーンの写真のようだ。
着飾っているひとも、裸のひとも、彼等はみなとても静かに、誇らしげに写真のなかに在る。表情はすっとしていて、男は強く、女はやさしく、こどもはこどもの顔をしている。たまに民俗芸能のシーンもあって、毛皮を被って踊っていたり、変なサイみたいな大きいかぶり物をして撮られているのもある。

それで、思い出した。
親戚が多分何百年も前から一族で住んでいる、羽黒を思い出した。

私の親戚は山形の出羽三山で宿坊をやっている。もしかしたら思い出したのは、私が見ていた羽黒というより、おばあちゃんやお母さんがよく喋っていた話から、私が子どものときにイメージした昔の羽黒なのかもしれない。とにかく、インディアンの写真を見て、羽黒のことを思い出した。
インディアンから羽黒へと、羽黒からインディアンへと、私のイメージは双方をしばらく行き来した。Wikiさんにお伺いすればもっと確かに「知る」ということはできるのだろうけど、読んだ夜は、自分勝手に楽しく思いを巡らせた。
だから、敢えて調べないで、思い込みもそのままに、あくまで私の記憶と想像と予想の上に成立している羽黒のことを書こうと思います。

私たち家族の家は鶴岡市にあり、羽黒と言えば「夏に行くところ」だった。お盆の日は必ず行くところ=羽黒。お盆の日以外はほぼ行ったことが無い。
我が家の定例として、お盆の日の午前中は父の親戚が居る酒田市へ墓参り、その後そこの家にお邪魔して「いつもの」と言わんばかりの定番お盆メニューをご馳走になる。のり巻きとか、若竹と帆立の煮物とか、私たちはその「いつもの」を期待して行く。それから午後は一旦家に帰って、だらだらして昼寝したりして、夕方になるとぼちぼち支度をして、羽黒に行く。
車に乗って、市街地を通る。子どもながら「多分このあたりのお店は、大人がお酒を飲んだりするところなんだろうなあ」と思いながら、でもたまにピンクの看板がちらほらあるので、子どもながら「多分あんまり直視してはいけないと思っている通り」を通る。昔の小さな歓楽街だったんだろう。高校生くらいのときに何かで知ったのは、その通りはライトな風俗街で、羽黒に修験しに行って男になるのと同時に、そこで修行前に別の側面でも男になる役割だったと言うことだ。これも聞いたことなので、真か偽かは判らない。でもとても説得力があるので私は信じている。
田舎なので市街地もライトな歓楽街もすぐ過ぎる。赤川を越えて、田んぼが増えてきて、羽黒山に接近していく。庄内柿(種無しの柿。東京に来るまで私は柿と言ったらアレしか無いと思っていた)の宣伝モニュメントか何かを横目にし、その辺りから羽黒の大鳥居が見えて来る。あれが見えて来ると、ああ羽黒に入るんだなあと思う。車道をまたいでドーンと立っているので、とても結界感があるのだ。「こっからあっち、こっからそっち」と、鳥居は平地と山とを区切っている。

親戚の宿坊に着くと、まずは仏壇?を拝む。いや、神棚?いずれにせよ仏壇テイストではあった。もう引っ掛けているのかいないのか、そこの家のおじさんたち兄弟が何となく集まり始めていて、いやあまんずまんずおおぶじょほしまして(=いやあどうもどうもご無沙汰いたしまして)とか挨拶をしてから、私たち家族は台所でやかんを借り、水を入れて、墓参りに行く。墓場は整備された林のようなところにある。その道々、必ずと言っていいほど親戚とすれ違うか合流するかする。羽黒山=修験の山=神道なので、墓はあっても寺は無い。墓場は一族ごとにエリアで別れており、昔からそうしてきたんだろう、子どもの頃に死んだひとは小さい子どもサイズの墓碑、この人は多分一家の長レベルだなというひとは大きい墓碑。それらがコの字型に並んでいて、内角に棒が刺さっていて、それらを糸で繋ぎ、干菓子が飾ってある。それぞれの墓の前には、笹をしいた上にあんころ餅がお供えしてある。餅には必ず蟻がたくさんたかっている。お線香をつけて、水をかけて、手を合わせる。
そのあと今度はおばあちゃんの実家の墓地に行く。こちらも、振り返ればそこは鬱蒼とした森で、いつ行ってもひんやりしている。正直なところそっちはいまでも怖い。

墓参りしてから一族郎党の酒盛りまでは時間があるので、とても暇になる。小学生の頃まではいとこが毎年来ていたので、その子らと宿坊全室をまたいでワアっと遊んだ。宿坊の一階は大きな玄関、大きな台所、ちょっとした居間、大きな客間、神様スペースがある。大きな玄関には白い緒の下駄があり、それは仕事用の下駄らしい。玄関を入ると、大きい天狗とからす天狗のお面がドーンと飾ってある。多分1mはある。子どもの頃も今も、毎回毎回やっぱり「ワア」と思ってしまう。これが顔ってことは天狗はきっと二階くらいまでの高さで、下駄は多分このくらいなんだろうな、踏まれたら死んでしまうだろうなと、小さい頃はよく想像していた。屋根からは、魔除けかなにかと思しき立派な馬の尻尾が下げてあり(多分どこの宿坊にも飾ってある筈)、私たち子どもチームは、ちょうど学校の怪談を面白がる時期なのもあって、「女のひとの髪の毛みたいで薄気味悪い!」とみんな思っていた。

おばあちゃんはそこの家に嫁に来た。長男の嫁である。おじいちゃんは先生になったので継がず、そこの三男坊が継いだ。おじいちゃんは私が生まれたときには死んでいたのと、おばあちゃんがあまりにも馴染んでいたのとで、私はてっきり、おばあちゃんの実家に毎年行っているのかと思っていた。それくらい兄弟姉妹が多くて、その子どもたちとそのまた子どもたちもお盆に集まるので、前述したが正に一族郎党という言葉がピッタリで、あの人はおばあちゃんの妹とか、おじいちゃんの妹とか、聞いてもあまり判らなかった。おばあちゃんはそこの家まで歩いていけるところの家から嫁に来た。嫁入り行列もしたらしい。でももうおばあちゃんの生家は継ぐ人が居なくなり無く、今は竹やぶになっている。「ここがおばあちゃんちだった」と言われても「?」だった。よくおかあさんとおばあちゃんの間で語りぐさになっている「おおじんじさま(=大爺様)」というひとが居るのだが、多分おばあちゃんのおじいちゃんなんだろう。私には昔話のひとで、そのひとがそこに住んでいたのも想像がつかない。だいたい、そのひとのことを想像するときは囲炉裏とセットだ(囲炉裏なんてあったのかなあ)。二人ともよく楽しそうに「ほらあのときおおじんじさまが、」と言って話している。
おばあちゃんもずっと羽黒で育っているので、ならではの昔話で私たち姉弟を子どもの頃ビビらせてくれた。「あそこの寺の大きい鐘つき堂の下は、夜になるとポッカリ穴が開いて、地獄に繋がっていて、悪いやつは閻魔様がその穴に落としてしまう」。そこをリアルに知っているので、「うわあ、あそこかあ」と思うと凄く恐ろしかった。おばあちゃんも、おばあちゃんのおばあちゃんにそうやってビビらせられたんだろう。おばあちゃんなんて、そこで昼間よく遊んでいたと言うから本気で怖かったと思う。今はその辺りに行くと、その寺よりもそこの近くの店の「墨伝羊羹」(小振りで美味しいんです!)に気が行っている、大人になった私。
天狗の話もしてくれた。子どもの頃は、「羽黒には天狗様が居る」という昔話テイストで話してくれた。大人になった私には、「天狗とかからす天狗というのは、私は本当は居ないと思っている。本当は、ずうっと昔は人知れずひっそりそこに土着して住んでいた名も無い民族が居て、彼等は異形のひとたちで、異形だからという理由で人目を避けて、身を寄せ合って人里離れて暮らしているのを、迷い込んできた村人がチラッと木々の間に彼等を目撃して、妖怪変化が居ると思っていたんじゃないか、と思う」と話してくれた。ああいう風にデフォルメされるということは、たとえば巨人症とか、癩とか、それか病気ではなくてどういう訳か流れ着いてしまった西洋人かもしれない。ペリーの似顔絵もああいう風に描かれたりするくらいだから、あり得るんじゃないだろうか。羽黒山開山物語として確か言われているところの、「蜂子皇子(はちすこのおうじ)」という異形の皇族がむかしむかし東北の山に追いやられて祀られて、という伝説もあるので、多分おばあちゃんのなかではそういうエピソードとリンクしているのだろう。ただ、私は天狗は居ると信じている。墓参りに行って、振り返って森を見ると、そういうのがさっと視界をかすめてもおかしくないような、「よくわからないものが居そう…」というシズル感がそこにはある。

この後は酒盛りの話に移行したいのですが、今回はこのくらいにして、「つづく」にします。

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trapeze
trapeze

1983年生。グラフィックデザイナー、イラストレーター。iPhoneとiBookを所持している以外は滅法旧弊。これといって趣味は無く、強いて言うなら…読書…なのかしら…今年の目標は「自信」「リラックス」「素直」の三本立です。

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