これまで仕事で、専業主婦からキャリア転身した多くの女性を取材してきた。そのほとんどの女性が口にしたのは、専業主婦時代に味わった社会からの疎外感、孤立感。家と公園とスーパーの往復で終わる生活、誰々のママではなく私個人として話せる大人がいない毎日の中で、自分の世界が狭くなっていくような焦りと恐怖だった。
もちろん、専業主婦の誰もがそんな心境に陥るわけではない。自分に専業主婦が無理なように、社会に出て働くことが性に合わない女性がいて当然。そこは「個人差があります」と注釈を入れさせていただくとして。ただ少なくとも、自分が取材した女性たちの「仕事がしたい」は、「お金じゃないのよ」の心の叫びであり、贅沢かもしれないがキレイごとではない精神の渇望だったと思う。 そんな専業主婦時代の経験があればこそ今の私があるという、 50代女性の「仕事を続ける理由」。 それは「使命(ミッション)」だから結婚してから子育てのため会社を辞めた。毎日公園で子どもを遊ばせ、ママ友たちとたわいのない会話を交わす。そんなスローな時間の一方でつねに社会からの疎外感を感じ、焦っていた。 52歳 Y.A
人間ですもの…わが親族の女性たちの中で、仕事を持たない(持たなかった)女性は1人もいない。そんな環境で育ったせいか、私にとって「生きることは即ち働くこと」でもある。では、私を含め彼女たちみな、生きるためだけに働いているのかと言われれば、やっぱり違うと思う。もちろん、疲れきって嫌になり、仕事をしなくてよければどんなにいいかと思う日もある。すべての仕事が、毎日面白くて有意義で、最高に楽しいなんてことはありえないのだから。 39歳 ランプ
必要とされてこそ、自信を持って生きられる。温室育ちで世間知らずだった私が仕事を始めたのは今から10年前。夢だった仕事の現実を知り、自活する厳しさを知った頃、仕事を辞めて誰かの稼ぎで生活したいと思った。働くことは時にみじめで理不尽。悪くないのに謝罪する、の連続。それでも続けたのは、一緒に働いてくれる大切な仲間の存在と、やり残していることがたくさんあった現状。そのおかげで得られたものは、社会で必要とされる自分。必要とされている自負があるおかげで後ろめたい思いなく社会の恩恵を受けることができる。たまの休日を存分に楽しむことができる。働かざる者、食うべからず。きれいごとかもしれないけれど、お金持ちより働き者の方が価値があると思う。逆に失った、というか得られなかったものは、若いママ、くらいかな(笑) 33歳 エチルダ
誰かに必要とされる、社会の中で役立っている実感。人から信頼され、期待され、感謝される喜びを「お金」という目に見える形でいただき、そうして頑張った成果を家族や仲間と分かち合い、自分の楽しみのために使う。いわば「お金」を間に挟んだオーガニックなつながりが資本主義社会の理想のあり方で、わたしたちが求める「仕事のやりがい、喜び」もまた、お金とお金じゃない部分がセットで満たされてこそ成り立つものなのだろう。
けれど、それがビジネスであり、今の社会で仕事をして生きることだと思う。社会の理想を追求するために利潤を追求する存在が企業であり、自分という個人もまた、それがどういう形であれ、理想と現実、2頭の馬にまたがって、引き裂かれないよう進んでいくしかない。よりよい未来は、現実だけでも理想だけでもつくれない。 そういうシビアな時代感覚を失わないために、 今を生きている実感を得るために社会に出る。仕事をする。 たとえ10億あろうと100億あろうとも、 そこは自分の生き方の理想として。 文・多川麗津子
#次回のテーマは「逃げか救いか、女たちのスピリチュアル」。2010年11月10日公開予定です。 4/5 |
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1件のコメント
それでも、仕事を続ける理由。社会から取り残されたくない。いろいろな人と出会いたい。必要とされたい。一緒に働いて良かったと思われたい。必死な自分でいたい。心から疲れた~っていいたい。それがあって初めて自信を持って稼いだ~って言いたい。それが私の理由。
疎外感ほど虚しいものはないから
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