salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

テス

信じてくれる、信じられる。友の存在に救われている。

友情は、同じ体験をし、一緒の時間を積み重ねて行くことによってできあがっていく。だから学生時代、学生生活の中で嫌というほど時間を共にし、思い出を共有して、友たちの絆が深まるので、親友ができる機会に恵まれる。最初から気が合って友達になれる場合もあるけれど、それよりも少しずつ理解を積み重ねて行く方が、しっかりとした基礎を築けると思う。ただ、大人になると、1対1に割く時間をとるのがなかなか難しいので、友達ができにくくなるという事実はあると思う。今、構えずに語り合える「親友」と呼べそうな友達は何人かいるけれど、とても少ない。彼女達とは、いつもそばにいるわけではない。何か困った時に話したい、と思う訳でもない。でも、その人は信じてくれる、私も信じられる、という、確固たるもので繋がっている。そういう人がこの世に1人でもいてくれる。このことだけで、なんだか救われている気がします。何にせよ、話を聞いてくれる人がいる、というのはいいですよね。自分の頭の中がクリアになるし、一人では導き出せなかった答えを得られたりするから、人といるというのは大事だと思う。

あちゃこ
大人になるとなぜ友情を育むのが難しいのか。それはたぶん、みんな自分のことに忙しいからに他ならない。友だちと会う。それ自体、仕事や家事、色んな事情をやりくりして、合間を縫って捻出した貴重な時間である。だからわたしは、友だちと会うときは「せっかく」「わざわざ」ということを念頭に置いてテンションを上げ、声のハリを確かめ、メンバーの顔ぶれに合わせた話題のメニューを一通り食ってから出かけるようにしている。いわば一期一会の気持ちをどれだけカジュアルなノリに落とし込めるか。誰もが帰り道に「来て良かった」と思えるようなひとときを演出する「おもてなしの心」を持たないと、大人の友だち関係は「つきあい」だけに終わりかねない。
「こんなことならテレビ観て風呂入って寝た方がよかった」と思ってしまう落伍者を1人として出してはいけない。それは「気の置けない仲間」を名乗る以上、絶対の常識だと思い詰めてやまない。「気の置けない」というのは、遠慮がいらない、気を遣わず居られる関係でありながらも1本緊張の糸が走っていないと成り立たないということは意外と知られていない。友だちとは、無言の癒しでもあり、無言のプレッシャーでもある。孤独を知った大人であれば、そのあたり心して付き合いたいものである。

その人と付き合えるかどうかは、孤独を知っているかどうか。

「情」がつくってことは、それが「友」だろうが、「愛」だろうが、所詮、ひとりよがりなものだと思います。それがわかった上で付き合えるかどうか。そのひとりよがりごと、抱きしめ合えるかどうか。私にとっては、その辺りに、その人と付き合えるかどうかの分かれ目がある気がします。つまり、孤独を知っているかどうか。孤独を直視しない、認めない、信じない人とは、友情も、愛情も、成り立たないかな、と。ちなみに、男女の友情は—もちろんありますとも。でも、友情と愛情の差は、実はそれほど明確ではないと思うので、友情が深まっていくうちに、もはや愛情としか呼べないものになっていた、ということもあると思います。さらにそれが、たまたま、生理的にも受け付ける相手で、セクシーな想像ができる相手だったら、傍から見たら「友情」の枠組みに入らないこともしてしまうかもしれない。でも、それでもその二人は友達なのかもね。

tia

他人≦家族 他人以上の繋がり、家族未満のしがらみ。

先日、友人宅に行った時、「今、急にどーーしても!足のツメが切りたくなったから、ツメ切り貸して~」と言ったら、大笑いされた。よくよく考えると、こんなことを何の躊躇もなく言える友人はごく数人である。人生の共有時間が長く、格好つけず、自然でいられる人たち。これから私がどんな生き方をしようとも、私が何者であってもなくても、ただ友達でいてくれる人たちがいるのは本当にラッキーなことだと思う。でも、ふと考える。本当にそうなのだろうか。その友情は、一緒に過去を共有した中で培ってきた互いへの信頼でもある。万一、今から未来、何か相手の信頼を著しく失うようなことをすれば、中には去って行く人もいるかもしれない。家族とは違う。でもどこかで、その家族のような友情を求めているときもある。他人以上の繋がりと、家族未満のしがらみ。でも言えるのは、人生の大切な場面で、時には家族以上に励まし、助け、支えになってくれたのはその友人たちである。

ランプ
たぶん、男性にしたらなぜ女どもは、彼氏がどうで旦那がこうで夜の方がどうかとか、他人に言わなくてもいいような内情をいちいちさらけ出したがるのか、意味が分からないだろう。しかし、それが大いに意味があるのである。なぜなら、それが「分かち合い」なのだから。「わたしのものはあなたのもの、あなたのものはわたしのもの」そんな女神的な精神から来てるといっても過言ではない。こちらが抱えているものを出す。すると相手も抱えているものを出す。その一つ一つに「いや、一緒やわ!」「あら、わたしとは違うけど、でもわかるわ〜」と反応し合うことに意味があるのであって、論理的な整合性や合致点が見られなくても、構わず先に進んでいける。さらに意外や意外、とりとめのない話の先に「そう、わたしが言いたかったのはそういうことなのよ!」と異様にきらめく答えが見つかったりもする。結果、当然、女同士の会話は元気になれる。わたしのしょうもない悩みも告白も懺悔も、真剣に聞いて、受け止め、許してくれる。そう、女友だちとは心の教会、女たちの駆け込み寺。合う・合わないは、微妙な宗派(周波)のズレか変化か、そんなようなものかもしれない。

女同士の友情は、感性によって結ばれるもの

幸運なことに私には「親友」と呼び合う女性がいる。遠距離親友なので、会えば時間を忘れしゃべり、携帯、PC、Twitterに我慢出来ない時は長電話と、常時交流プリーズなのである。毎日の中で感じたこと、ひらめいたこと、思いついたこと、思い直したこと…etc、今それをどうしても伝え、意見を交えたい相手が私にとっての「親友」なので、どちらかが先立ってもきっと仏壇を作って話しかけるに違いない(笑)互いの感性を交えずにはいられないのだ。信頼や共感の情は割愛すると、私は、女同士の友情とは、その感性によって結ばれるものではないかと思う。それに対して男同士の友情とゆうと、スポーツなどなにかしらツールがあっての「同期の桜」的なもの。一時期一緒に何かと戦ってた的な、はっきりした動機があるように思う。プータロー時代、酒ばっかり呑んで過ごしたあいつと俺も、社会へのアンチテーゼを共有し、共に戦っていたのかもしれない。何に関しても、きっと男には理由や目的が必要なのだろう。
男女の違いはあるものの、人生の機微を互いに見守り、最期に「おかげさんでいい人生やったわ」と言えることを本当の友情としたいものです。

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世界中の女性たちが愛してやまない「SATC」の魅力。それは何より、仕事や男は変わっても変わらないキャリーたち4人の友情では? つらいとき、悲しいとき、人生に迷ったとき、すぐそばにいて一緒に闘ってくれる女友だち。時には感情をぶつけ合うこともあるけれど、それでも「あなたがいるから、わたしがいる」と思える女たちの友情物語に、胸がきゅんと熱くなる。

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