salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

イシコの歩行旅行、歩考旅行、歩行旅考、歩考旅考

2011-10-9
「平均月収とストレス(ナコーンパノム/タイ)」

午前中、部屋で書き物をしているとノックの音が聞こえた。ドアを開けるとホテルの掃除婦がモップを持ってにこりと笑いながら立っていた。部屋を掃除するので廊下で待っていて欲しいということなのだろう。僕はノートパソコンを開いて持ったまま外に出た。廊下に据え置きタイプの灰皿があったので、その隣にしゃがみ込み、普段、吸わない煙草を吸い始めた。普段、しないことをすると目線も変わるのか、いつもなら目に留まらないフォルダをクリックしていた。「月収」と書かれたファイルが残っている。何のことだったか忘れてしまい開いてみた。

すると北京に滞在していた際、中国の平均月収がどんどん上がっているという記事をネット上で見つけ、どれくらいなのかが気になって調べたときのメモだった。2007年のデータによれば北京では税金などを引いた手取りの平均月収は三万円で、上海の四万円と一万円の開きがある。ちなみに世界で一番高かったのはスイスの三十四万円で、日本は二十四万円。まぁ、平均月収というのは、僕のようなフリーランスのような不安定な仕事をしている人には馴染みがない話であるのだけれど。

そのメモの中になぜかタイも書かれていた。きっと北京のすぐ後にバンコクに立ち寄る予定になっていたからだろう。バンコクも北京と同じ三万円だった。もちろん都市部なのでこれはタイの中では一番、高い金額である。僕の部屋の掃除をしてくれている掃除婦は月収八千円程度だと言っていた。毎日、休まず働いてである。そう考えるとタイの地方の若い人達が日本へ出稼ぎに来て、三年程、工場で働いてお金を貯めて、タイの田舎に戻って家を建てることを思い描くこともわからなくはない。

ふとホテルの前で、いつも眠っているトゥクトゥクの運転手が浮かんだ。彼は、いったい月にいくら稼ぐのだろう。早朝、散歩に行くとたいていホテルの前で既に待機している。そう書くと仕事熱心な運転手のように思われるが働く気は全くなく、バイクに取り付けられた後ろの荷台でゴロリと横になり、ボーっと宙を眺めている。そして僕が横を通り過ぎるのを横目でチラッと見て、また宙に目を戻す。僕には見えない物が見えているのではないかと思うほど毎日、同じ宙を見つめている。散歩の後、朝ご飯を食べて帰ってきても客を捕まえた様子はなく、相変わらずボーっとしている。

たいてい僕は一旦、部屋に戻ると午前中は籠って書き物をしていることが多い。そして次にホテルを出るのは昼ご飯を食べに行く時になる。ホテルを出るとトゥクトゥクの運転手はさすがにいない。彼がいない場所には太陽が照りつけている。
「ようやく始動開始かぁ。遅いんじゃないの?」
締切りの原稿をまだ仕上げていない自分のことを棚に上げ、そうつぶやきながら僕は散歩に出掛けていく。すると木陰で先程のトゥクトゥクの運転手を発見する。朝と同じスタイルでごろりとしているところを見るとホテル前の直射日光を嫌って移動しただけなのだ。 
きっと彼はバンコクでは生きていけないだろう。
「それでもこの街だったら生きていけるのだよ」
彼の眠った幸せそうな顔はそう言っている。
旅で様々な人達の生活スタイルを見ていると何が幸せで何が不幸せかを時々、考えることがある。彼にはお金はないだろう。しかし、彼の表情にストレスは感じられない。

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ishiko
ishiko

イシコ。1968年岐阜県生まれ。女性ファッション誌、WEBマガジン編集長を経て、2002年(有)ホワイトマンプロジェクト設立。50名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動、環境教育などを行って話題になる。また、一ヵ月90食寿司を食べ続けるブログや世界の美容室で髪の毛を切るエッセイなど独特な体験を元にした執筆活動多数。岐阜の生家の除草用にヤギを飼い始めたことから、ヤギプロジェクト発足。ヤギマニアになりつつある。

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