salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2011-01-22
無駄に生きたい、勝新ピープル。

有名なエジソンの言葉『天才とは1%のひらめきと99%の努力である』。
じつはこれ、誤訳だったということを知り、なぜか妙に腑に落ちた。
だってこの言葉通りだと、一生懸命努力することが大切みたいに受け取れる。でも、現実は努力すれば報われるなんて、そんな甘いもんじゃない。
さすがエジソンが本当に言いたかったのは、そんな甘っちょろいことではなかったのだ。

「1%のひらめきがなければ、99パーセントの努力はしなくてもよい」
つまり、アイデアや発想が1%あれば、無駄にしんどい思いをしなくて済む。逆に、何のアイデアもない努力は無駄にしんどいぞと、ほんまのことを言いたかったわけである。

言えば、「いったいこれが何になるのか」「こんなこといつまで続ければいいのか」と暗中模索の試行錯誤に明け暮れるのは、誰が悪いわけでも、時代のせいでもなく、1%のひらめきが足りないから。それって、わたしのせい? そう、お前のせいや。みたいなことを、エジソンは伝えたかったに違いないと勝手に推測する。

そして、その「1%のひらめき」とは何ぞやと記者に訊かれたエジソン。

「生まれたばかりの赤ちゃんの頭脳にはリトルピープル(地球外生物)が住みやすい構造になっている。このリトルピープルが人間をコントロールしているのだが、大人になるとこの声が聞こえなくなるのだ」

ひらめきの正体はリトリピープルの仕業みたいな、天才の言うことは実に凡人にはわけがわからない謎めいたものである。
村上春樹の「1Q84」にもリトルピープルなる存在が登場するが、それは見ようとしなければ、聞こうとしなければ決してとらえることのできない「お告げ」のような存在かと何となく想像するものの、それが何なのかは想像がつかない。

ただ、自分の意識や意志や思考や感情とは別の次元で自分を動かすリトルピープルの実体はつかめずとも、言葉では説明できないインスピレーションというものは確かにある。何がどうなるかわからないけど「やってみたい」「面白そう」と何の根拠もなく確信めいた興味に引かれて事を起こすのは、自分が思う以前に何かがひらめいた、という方がしっくりくる。

けれど大人になると、なかなかひらめかなくなるのは、「損をしたくない」「失敗したら後がない」みたいな防衛本能が強く働くからじゃないか。それをすることが得になる、金になる、認められる、何かにつながるなどと、心とは関係のないことに心を奪われ始めた瞬間から、リトルピープルの声は遠くかすんで聞こえなくなるのかもしれない。いわば、そういう人間の思惑を離れた次元で作動するリトルピープルを持ち続けているのが天才で、やたらとアレコレ考え過ぎる割に何のひらめきもない自分は、なるほど、リトルピープルが「こんなうるさいとこ住んでられるか!」と愛想尽かして出て行ってしまった凡人ということか。まあ、そういうことやろ・・・。

そうなると、そうか。イチローも真央ちゃんも天才と呼ばれる人は、自分のやりたくないことはやっていない。いや、やりたい、やりたくない以前に、1%のひらめきが、そうさせるのかもしれない。ってことは裏を返せば、天才は自分の才能に叶わない生き方は絶対にできない生き物で、何があっても自分の生き方を変えられないのが天才の宿命なのではないか。なんせ頭の中に住みついているリトルピープルが、自分じゃないことをしないように、自分に向かない道に進まないように、無駄な努力はしなくて済むように、絶えずひらめきコントロールしているわけだから。オレの生き方が正しいのか間違ってるのか、わたしの人生このままでいいのかどうか、迷いようがない。となると、あっちにぶつかりこっちにぶつかりする必要がない。そんな無駄がないことに越したことはないが、別にあってもいいじゃないかと思いたいのは、自分が無駄に生きてる負け惜しみか。

でも、言わせてもらえば、自分みたいな凡人の才能とは、無駄に無駄を重ねることが天才ほどイヤじゃなく、イヤはイヤでも、まあそれも仕方がないとあきらめられる鈍感さだと思う。
だから、わたしはリトルピープルがもたらすという1%のひらめきより、生きたいように生きて死んでも尚生き続ける天才・勝新太郎の「無駄なことに宝がある」という言葉に救われる者である。
リトルピープルは戻らなくとも、せめて、願わくば、わたしの中にちっこい勝新ピープルを…

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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