salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2010-12-7
ハーバード大 白熱教室にて

こたつでビールを飲みながら見るには畏れ多い、高尚な番組がある。
NHK教育「ハーバード大学 サンデル教授の白熱教室」
このサンデル教授、日本でもベストセラーになっている『これからの「正義」の話をしよう』の著者で、ハーバード大学での彼の授業は立ち見が出るほど超人気の政治哲学者。番組の内容は、サンデル教授と学生たちが現代の難問について白熱の議論を闘わせる公開授業。いわば知性と知性のバトルロワイヤル。知的エリートたちのクロスファイアーといったところか。

今回は、舞台を米国・ハーバード大から東京大学に移しての特別講義。東大安田講堂に集結した総勢500人の人々に、サンデル教授は正義の問いを投げかける。

「さあ、どう思う?」と突きつけられる難問はというと・・・

<富の再配分と個人の自由について
>
「オバマ大統領の42倍というイチローの年俸の高さは正当か。
社会への還元として、莫大な課税を与えるのは不当といえるかどうか」

<道徳主義と社会正義について
>
「指名手配中の兄弟姉妹の居場所を当局に教えるか、それとも守るか」

<愛国心とナショナリズムについて
>
「被災した自国と他国の人々、どちらを助けるか」

おわかりいただけただろうか。こたつで寝転びながら、ボケーッとアホみたいな顔で見るような番組ではないということを。
サンデル教授が問いかけるのは、その人の倫理感、道徳観、価値感、考え方によって「正しさ」が分かれる哲学的な難題ばかり。そこで求められるのは正しい答えではなく、自分にとっての正しさ。
「一概には言えない」とか「一旦、社に持ち帰って」など、とりあえず茶を濁すような態度は白熱教室では許されない。
どんな考えでもどんな意見でもいい。
ただし「人それぞれだから」、「どっちがいい悪いじゃなく」、「難しい問題だよね」などと適当に逃げるようなヤツは論外。
なぜなら、白熱しないからだ。
わたしも、そんな自分だけ中立の立場で物を言うような人には白熱できない。

人それぞれの考えはどうでもいい。あなたがどう思うのか。
「どうとも言えない」のなら、言えないワケを言い合おうぜ! そんな白熱のルールの下、どうとも言えない難題を次から次へ投げかけては「君はどう思う?」「なぜそう思う?理由を聞かせてくれ」と攻め込んでくるサンデル教授。授業にはついていけなくとも、そのやり方には案外ついていけるかも。

けれど、ただ熱いだけではハーバード大きっての人気教授とはならない。
サンデル教授が心憎いのは、ひとり1人に意見を出させるだけではなく、その論旨を鋭く見抜き、その人の考えの源泉をズバリ言い当て、さらに深く考えさせてくれるところである。

「きみは道徳主義的立場から、富の分配は社会的義務だと考えるんだね」
「よし、わかった。君はリバタリアン(新自由主義者)だね」
「なるほど、君は功利主義者だね」
「きみは人と人とのつながりを重視するコミュニタリアンだね」

リバタリアン? 功利主義? コミュニタリアン?
ちょっと意味はわからないが、そう言われればそうなのかと気づかされる。
何が何だかわからぬまま興奮する。だから白熱教室なのかと、自分なりに納得しながら議論の行方を見守っていると、講義とはまったく関係のないところに妙な引っかかりを覚えた。というのは、とりわけ発言回数が多く、時折英語混じりに主張を述べる優秀な学生の言葉づかい、表情、身振り手振りが、やたらオーバーでアグレッシヴ過ぎるのである。

大勢の前で、自分の考えを主張できるのは頼もしい限りだが、その学生たちの話し方、声の出し方、表情は、彼らひとり1人のパーソナリティに比べ、大きすぎるというか強すぎるというか、どこかチグハグで似合っていない。話す言葉は日本語なのに、「おおジミー、いったいどうしたんだ!理由を聞かせてくれよ!」みたいな吹き替えじみたテンションの高さが不自然なのだ。たしかに、空気はアメリカ、議論はジャスティス。でも、だからといって、そこまで気負わなくても、染まらずともいいんじゃないか。

たとえば、わたしの中で「パリな日本人」と言えば岸恵子。彼女はフランス語で話すときでも、伝わってくる言葉はどこまでも岸恵子そのもの。表情、ニュアンス、テイスト、どこをとってもまぎれもなく、パリの洗練とエスプリを漂わせた岸恵子なのである。後藤久美子も然り。アンニュイでもシャンソンでもなければ、いかにもな素振りはまったくない。フランスにいても日本にいても、何語を話そうが、わたしは私。表現方法は違っても、そこに現れ出るものは自分自身でしかない。

単に、その学生が染まりやすいタイプなのかもしれないが、もしこれがイギリスなら、いかにもブリティッシュなジェントルマン風になるのかといえば、そうはならないはず。イタリアならセクシーな伊達男風になるかといえば無理だろう。なのに、なぜアメリカとなると、アメリカのようになるのか。それだけアメリカのパワーが強大なのか、こっちが弱小すぎるのか。
とかくアメリカ通な経済評論家、MBAを取得したビジネスリーダーというと、その考え方、物の言い方、生き方までがっつりアメリカンな人が目につく。ハワイ通、インド通、ロシア通、中国通・・・・様々な「通」があるが、アメリカ以外の「通」な人には、その国のことがよほど好きで好きでたまらない情熱を感じるのだが、どうもアメリカ通な人はアメリカが好きというより「サクセス」が好きという印象が否めない。
だから、人生の困難や苦悩を「ケーススタディ」などと称し、効率よく人生の価値を高めようみたいな発想になるのだろう。あえて誰とは言わないが、12月の今の時期、「人生戦略手帳」など持ってるだけでしんどくなるようなもんをここぞと売りに懸かるあの方のこと。

英語で自分の意見を主張できるような立派な学生に、英語どころか標準語も話せないこたつ妖怪のわたしが言えることなど何もないが、それでも何かアドバイスをと言われたら、「もっと自分を大切に」。
英語で話そうが、相手がアメリカ人だろうが、ハーバード大白熱教室だろうが、その通り、その様にならねばならぬ義理などないのだから。

番組中、ただ1人、サンデル教授が「きみは○○主義だね」と仕切れない発言をした一般男性がいた。彼の話し方、表情、言葉は、等身大の彼自身。
何しろ、この場においてこれほど似つかわしくない言葉があるかと耳を疑う関西弁。「過去の戦争責任を現代の人間はどこまで負うべきか」という問いに対する彼の答えは「時間が解決する」。それは意見でも論でもなく、ただの願いではないか。さすがのサンデル教授も、「よし、いいだろう」と何がいいのかそのままスルー。とはいえ、彼の意見はたしかに頭のいい学生たちに比べれば拙いものかもしれないが、言葉の肉付きの良さ、味わいの点では、彼の方が後引く旨味があった。

おそらく、サンデル教授といえども彼の思考の源泉を探り当てることはできなかったのだろう。もしかしたら、知らなかったのかもしれない。
「ことなかれ主義」という日本古来のイデオロギーを。

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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